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とほ宿めぐり

ゲストハウスりん

「旅人さんを迎える」宿に。

ゲストハウスりん

BOYさん・Macoさん BOYさんは新潟県出身、Macoさんは東京都出身。お二人は「ふゅーじょんぷろだくと」という出版社で出会う。様々な職歴を経て、東京から静岡県の南伊豆町へ移住。2017年に開宿。宿名の由来は、南伊豆にゆかりのある詩人「石垣りん」さんから。

BOYさんは過去に大きな病気で病院へ緊急搬送された事があり、それまでの仕事を続けることが困難になった。それがきっかけになり、仕事と生活の場であった東京を離れ、移住を検討することに。移住先は静岡県の伊豆半島南端にある南伊豆町。インターネットで物件を探していたところ、すぐにゲストハウスにできるような元アパートの物件を見つけた。運命的な出会いを感じ、覚悟を決める。のんびりした時間がふわぁっと流れる南伊豆を皆さんに感じてもらえたら、と願う。

本やマンガに親しんだ学生時代

 

―BOYさん、Macoさんの出身地はどちらですか?

 

BOY

生まれは新潟県新潟市です。国鉄職員だった父は転勤が多くて、県内の町を転々とした後、静岡県の熱海、神奈川県の平塚、茅ヶ崎へと家族で引っ越し、大学生の半ば頃からは東京で一人暮らしを始めました。湘南で過ごした時期が長いので、「湘南ボーイ」という言葉から「BOY」と呼ばれるようです。

 

Maco

私は東京の目黒が出身地です。3歳の時に千葉県の松戸に引っ越しまして、当時完成したばかりの日本一大きな常盤平団地で暮らしました。その後は同じ県内の船橋に引っ越して、BOYと一緒に住み始めるまではずっと船橋でしたね。

 

―出身地はどのような町ですか? BOYさんは多くの町で暮らしているので、一番長く過ごした町について教えてください。

 

BOY

小中学校に通った神奈川県平塚市です。町名でいうと御殿という場所ですが、徳川家康が鷹狩りでその辺りを根城にしていた土地ですね。私の中では町というと必ず海が南側にあって、海岸線に沿ってJRの鉄道と町があって、その北側には山がある、そういうのが「町」だという固定観念のようなものがあります。

 

Maco

覚えているのは団地に引っ越してからのことぐらいです。そこは元々田んぼとか畑だったような土地なので、近代的なことはあまりないような感じでした。新興住宅地なので、昔ながらの風習とか習慣とはあまり触れあえませんでした。

 

―小学生や中学生の頃はどのようなことに関心を持っていましたか?

 

BOY

自然科学系が好きで、本も好きでした。小学校の図書室では小学3年生から本を借りることができたんですけど、最初に借りた本は、「水の中の微生物」というタイトルだったことを覚えています。専門的な感じで小3には難しい本でしたけど、記念すべき1冊目の本を借りるということでちょっと背伸びしました。

 

Maco

小学校が新設校だったんです。小2ぐらいになってプレハブの図書室ができて通い詰めたので、本はよく読んだ方だったと思います。

 

―中学生の頃、部活をしていましたか?

 

BOY

部活はしていませんでしたが、図書委員をやっていました。「図書館便り」を発行していたんですけど、内容がつまらないから誰も読まない感じだったんです。勝手に「ライブラリーニュース」という名前に変えてしまってほぼ自分一人で記事を書いたり、友達が書いた読書感想文を載せたり、クロスワードパズルを自分で作って載せたりしていました。
他には、「郷土研究クラブ」に入っていましたね。平塚には貝塚とか、古墳とかがあるんですよ。

 

Maco

子どもの頃にちょっとだけピアノを習っていたせいか、歌を歌うのが好きでしたね。それで中学の時は合唱部に入っていて、転校先でも合唱部に入部しようと思ったんですけど、すごく本格的な感じだったんです。ちょっと私には無理な感じがして、結局部活はしなかったですね。

 

―その他には何かに打ち込んでいましたか?

 

Maco

転校先の中学で仲良くなった子が少女マンガ好きだったんです。その子と二人で集英社系と講談社系に分かれて少女マンガを買って、毎週土曜日になるとその子の家へ行ってその週のマンガを借りたり貸したりということが一番楽しかった思い出です。

 

―中学校卒業後はどのような進路に進みましたか?

 

BOY

高校、大学へと進学したんですけど、高校時代は硬式テニス、文芸部、生徒会活動で毎日忙しかったです。文芸部では謄写版で会誌を作って月に1回発行していました。結構なハイペースでしたね。
大学は商学部に入学したんですけど、必修の簿記が苦手で1、2年の段階で、卒業は難しいな、と。。。ところが、東京の本屋さんである出会いがあったんです。

 

Maco

私は普通科の高校に進学して、先程話した中学の友達とマンガの貸し借りをずっと続けていました。コミケに行ったり、「科学忍者隊ガッチャマン」や「ガンバの冒険」などのアニメにもはまっていましたね。大学には進学せず、資格を持っていた方がいいかな、と思って情報処理の専門学校に通ったんですが、理数系の仕事には向いていないな、と1年で退学したんです。結局、興味があるのはマンガやアニメに関わることだと思い、出版社やアニメ関係の会社に入ろうと思ってビジネススクールのマスコミ広報科に入りました。

 

東京を走り続けた日々

 

―BOYさんは東京の本屋さんで何に出会ったのですか?

 

BOY

「月刊FULL-HOUSE」というミニコミ誌を見つけたんです。情報誌的なもの、若者の評論的なもの、インタビューものなどで構成された48ページぐらいの雑誌です。その編集部に行って手伝いを始めてみたら面白くて、編集部にほぼ寝泊まりする感じになりました。
編集部のスタッフはほとんど学生だから怖い物知らずで、作家や漫画家に、どんどんアポイントメントを取ってインタビューしていました。相手も、学生だったら話をしてもいいよ、という感じで、タモリのオールナイトニッポンや橋本治や宝島編集部へも取材に行ったことがあります。
「取材させてください」
と学生が行くと、結構応じてくれました。バカな質問とかつっこんだ質問をすると、逆に面白がってくれましたね。
書評も新刊が出たらエラそうに、
「今度うちのFULL-HOUSEで書評をやるので、1冊ください」
と言って出版社に本をもらいに行っていたり、映画担当は試写にたくさん行っていたりと、結構、若者の時代だったんです。
FULL-HOUSEは直販といって、本屋さんに直接置いてもらうので月に1回本ができたら本屋さんを回って納品もしましたし、その頃一緒にやっていた仲間とは今でもつきあいがあります。

 

BOYさんが編集に関わった「月刊FULL-HOUSE」。松田優作、タモリ、YMOなど、様々な有名人を取り上げています。FULL-HOUSEでは副編集長として編集に関わりました。

 

―どのようなところに就職しましたか?

 

BOY

私は「ふゅーじょんぷろだくと」という出版社に入って、「ComicBox」というマンガの情報誌の編集をしました。関係者にインタビューをしたり、原稿を書いてもらったりして、それを写植屋さんに持って行き、写植の文字をカッターで切貼りして版下を作っていました。ここでもよく編集室に寝泊まりしていましたね。
その後はフリーライターになり、さらに編集プロダクションに入りました。米ぬか健康法の本やダイエット本やムック本、バイクのツーリングの本を作ったりしましたね。バイクに乗り始めたのはその頃からです。そこを辞めた後は、バイク便の会社に入りました。バイクで荷物を緊急配送する仕事です。内勤社員を経て、軽ワゴン車で緊急配達をする仕事を50代くらいまでやっていましたね。

 

Maco

私はビジネススクール在学中から徳間書店のアニメージュ編集部でアルバイトをしていたので、その紹介でフリーのアニメーターさんの事務所に入りました。私は絵が描けるわけではないので、接客やセルの色塗りなどを手伝いましたね。社員は私一人で、毎日「笑っていいとも!」を見ながら社長と二人でお昼ご飯を食べていました。あまり「就職」という感じではなかったです。だって入社条件が「ヒマに耐えられる人」でしたからね。社長が仕事に入ると私は何もすることがないので、「その時間がつぶせる人」という意味でした。そして「社長の仕事中は何をしていてもOK」だったので、そのユルさに甘えて、友達と作り始めたアニメの同人誌の版下を自分の席で作っていましたね。3年勤めましたがもう少しマンガの周辺に関わる仕事がしたいと思って退職し、「ふゅーじょんぷろだくと」という出版社に入り、そこでBOYと知り合ったんです。仕事に対する興味の移り変わりが早いのか、しばらくしてその会社も辞めて、その後はビデオリサーチのアルバイトをしたり、コンピューター会社のコールセンターで働いたり、介護の仕事をしましたね。介護の仕事ではヘルパー2級の資格を取って5年くらい頑張ったのですが、やはり大変な仕事で長くは続きませんでした。で、今の南伊豆に移住したという感じです。

 

―お仕事は楽しかったですか?

 

BOY

当時はカーナビがないので、地図を用意して、出発点から目的地までコースを考えたりするのが楽しかったです。今はカーナビだから、頭を使わないですよね。

 

Maco

一番やりたかった仕事は、アニメとかマンガの資料館のようなものを作って、そこの学芸員さんのようなことをやりたかったんです。出版社で働いた時もそういうことにつながるかな、と思ったけれども、とてもそんなことにはなりませんでした。

 

―休日はどのように過ごしていましたか?

 

BOY

バイクに乗り始めた頃は友達と一緒にツーリングですね。HONDAのVTZやXLRというオフロードバイクに乗っていました。
同じ頃にスキーもするようになって。一冬で30回以上はスキーに行ったかな。最低1泊はするから60日くらいは雪山に行っていた計算になりますね。

 

Maco

家で本を読むとか、テレビドラマを見るとか、そういう感じで過ごしていました。昔は旅が嫌いだったんですよ。旅に出て環境が変わるとそわそわする感じがしたので。でも、今は旅が好きです。

 

―BOYさんはかなりスキーにのめり込んでいたんですね。

 

BOY

ワイルドな面白さがあるのは、スキー場からさらに山を登るバックカントリースキーですね。遭難しかけたこともありました。

 

―遭難しかけた時はどのような状況でしたか?

 

BOY

かぐらみつまたという上越の山でバックカントリースキーをしていた時に、このまま下って行ったら谷底に行くようなところがあったんです。ゲレンデからの音楽は聞こえていたので、すぐ上の方に行けばゲレンデがあるのはわかっていたんですが、体力も削られているし、つい楽をしてスーッと下って滑っていきたい気持ちになって、そういう時って幻覚を見るんですよ。白いもやの中で、あそこに人がいるからコースに戻れたと思って近づいてみたら単なる立ち木だったり、雪の塊だとか、自分が見たいものを幻影で見ちゃうということを実感しましたね。ここは頑張って上に上がろう、と思ってスキー板を外して深い雪の斜面を2、3m上がって戻れました。

 

―危ないところでしたね。危険と隣り合わせのように思えるバックカントリースキーの魅力とは何ですか?

 

BOY

何と言っても新雪のパウダースノーですね。ゲレンデと違って圧雪されてないので、フカフカのバフバフなんです。ターンで上げるスプレー(飛沫)も快感で映えるし、誰も跡をつけていないキレイな斜面にシュプールを刻む楽しさがあります。また、カモシカに出会ったり、樹氷、霧氷、シュカブラなど自然の造形を楽しむことができたり。大自然の中にただ一人というのが快感です。

 

知らないものを偶然知る、それも旅の面白さ

 

―今、特に好きなものや好きなことは何ですか?

 

BOY

沢山あるんですけども、俳句、連句、川柳も好きです。地元で「川柳黒潮」という会の事務局をやっています。高校の文芸部時代から月一回の締切り・編集・発行を続けているわけですね。
また、一人で自分の句集を作って、東京で開催される文学フリマに参加しました。文学フリマとはコミケの文学版という感じのものですが、句集、詩集、エッセイ、小説など、自分が印刷して作ったものを手売りするイベントなんです。
他には俳句と連句の句会も月に1回参加しています。あとはテニスとバドミントンと、海況を見てSUP(サップ:スタンドアップパドルボードの略称)・カヤックツーリング、ビーチクリーン、ビーチグラスです。

 

Maco

今は旅行かな。一人で行くんですけど。山登りをしていた時期があって、それで行くようになりました。
それから、絵が好きなので美術館に行くのが好きです。地方の美術館へ行くために旅行に出ます。
ここ何年かは海外旅行が面白くて、一昨年はフランスのパリに2週間アパートを借りて滞在しました。去年はドイツを一人で周りましたね。どちらも美術館巡りが基本で、あとは観光です。でも、大変なんです。言葉は全然しゃべれないし、どこかに行くにもバスは間違えるわ、反対方向に行っちゃうわで珍道中だけれども、ちゃんと見に行けると、やった!という感じになります。

 

南伊豆で活動を続ける画家・くぼやまさとるさんの絵はがきは色遣いがきれいで、見ていると気持ちが優しくなります。宿のフロントや客室にも絵画があり、美術館のような宿です。

 

―アパートに滞在しながら旅行をするなんて、すごいですね。Macoさんは以前にも海外でアパートを借りたことがあったのですか?

 

Maco

アパートを借りるなんて、私も初めての経験でした。短期で貸してもらえるアパートがあって、日本人が運営しているところをインターネットで見つけたんです。その方はパリ市内にいろいろレンタルアパートを持っているんですが、パリはいろんなものが古いから、まずアパートの鍵が開かない。毎日帰ってくる度に、今日は一度で開けるぞ、と思うんですが、4回5回やらないと開かないということもありましたね。

 

―海外旅行では、食べ物は体に合いましたか?

 

Maco

私は割と何でも平気です。去年行ったドイツでは何を食べても塩気が強い感じでしたけど、それはビールと一緒に食べることを考えての味付けなのかもしれないですね。

 

―昔と今を比べると、旅の形に変化はありますか?

 

BOY

若い頃はバイクに乗るだけで楽しい、走っていれば満足、という感じでしたが、旅の基本はやっぱり観光ですね。走る道も高速道路や大きな国道ではなくて、2桁、3桁の国道や県道の方が楽しいです。
私は石仏や道祖神が好きなんですが、それは旧道や旧街道でないと出会えないんですよ。例えば、鹿児島県の薩摩地方に、「田の神さぁ(たのかんさぁ)」という神石像があるんです。その土地の人が顔に色を付けたり、それが間抜けな顔だったりして、面白いですよ。
道祖神って普通はお地蔵さんのような形をしていますが、山梨県には球体道祖神というまん丸い石を祀っているんです。以前、勝沼ユースホステルの方から聞いたのですが、勝沼はぶどう畑があるところで、まん丸い石がたまに掘り出されるそうなんです。球というのは形がいいからありがたがって据えているんじゃないか、と言うんです。何故まん丸い石ができるのかというと、石が渓流の淀みにはまるとクルクルっと回って、年月が経つと川底に甌穴(おうけつ)ができて、窪みにはまった石がまんまるになる、と。山梨県は扇状地が多いからそういう甌穴の丸い石が掘り出されて球体道祖神ができるんじゃないか、という説をユースの方から聞きました。

 

田の神さぁは様々な種類があり、その一例です。薩摩地方に点在する田の神さぁを巡る旅も楽しそうですね。(写真提供:ゲストハウスりん)

 

―ユースに泊まったことがあるんですね。とほ宿には泊まりましたか?

 

BOY

私はとほ宿と知らないで北海道の美瑛にある「星の庵」に泊まったことがあります。その後、東京の本屋さんでとほ宿の冊子を見つけましたね。去年の夏にバイクでゆっくり北海道を周った時に集中的にとほ宿に泊まろうと思って行ったんですけど、とほ宿は北海道で宿をやりたくて頑張って始めました、今も元気に続けています、という感じの宿ばっかりだから面白いし、オーナーさんは熱いですね。宿の場所が観光地ではないところも多くて、それもすごいです。とほの宿は、そこの宿が楽しいからわざわざ行く、というようなリピーターさんが多いし、そういう人たちは旅行というよりも旅ですよね。うちの宿は旅行者も来てくれるけど、あまりリピーターにはなりません。旅を目的として来てくれる方はその後リピートしてくれる方もいるし、お互い楽しいだろうな、と思いますね。

 

Maco

私が最初に泊まったのは「こっつぁんち」だったかな。長野県の野辺山の辺りで宿を探していて、とほ宿と知らずに泊まりました。その日に泊まったのは常連さんのご夫婦と私だけで、とても家庭的な宿という印象でしたね。

 

運と人とのつながりから、ゲストハウス開宿へ

 

―何故宿を始めようと思ったのですか?

 

BOY

東京には30年以上住んでいたんですけど、東京を卒業して地方に移住するなら南伊豆がいいかな、と思ったんです。
南伊豆は温暖だし、よくお世話になっていた宿(ゲストハウスコドコド)もあったのがきっかけです。

 

Maco

自分のペースでできるのがいい、と思いました。人の話を聞くのが好きだし、旅人さんって、だいたい面白い人が多いじゃないですか。
幸いいろんな宿に泊まりに行っていたから、素泊まりの宿ならできるんじゃないか、と考えたんです。

 

―開宿の準備で大変だったことは何ですか?

 

Maco

大変だったことは、引っ越してきて掃除が大変だったのと、芝生の庭が草ぼうぼうだったことです。セイタカアワダチソウの林でした。ちょっとでも根っこが残っているとそこからまた芽が出てくるので、抜くというよりも掘り返すという作業になって、これで芝は全部だめになったな、と思っていたら、芝って強いですね。
芝生の庭は今では駐車場と兼ねています。お客さんから、
「クルマをどこに停めればいいですか?」
と聞かれて、
「前の芝生の庭にクルマを入れてください」
「いいんですか?」
とのやりとりがよくあります。芝はタイヤの跡がついたりして痛むんですけど、復活しますね。

 

広い庭の芝生はきれいに整えられていて、クルマの駐車をためらってしまいます。「いいんですか?」と聞いてしまう気持ちがわかります。

 

―開宿はいつですか?

 

Maco

2017年3月に引っ越してきて、開宿は10月です。

 

―「ゲストハウスりん」の名前の由来は何ですか?

 

Maco

詩人「石垣りん」さんにちなんで名付けました。りんさんは家族と社会に対してたいへん真っ直ぐな詩を作った方です。
宿の名前を考える時に、実はそれまでりんさんを知らなかったんです。宿のコンセプトは文芸と美術かなという感じなので、それに関係する名前を考えた時に石垣りんさんが南伊豆にゆかりのある人ということで名づけさせていただきました。

 

海あり、花あり、遺跡ありの南伊豆町

 

―「ゲストハウスりん」でこだわりの場所はありますか?

 

BOY

夏の夕暮れにデッキに出ると、とても気持ちがいいです。毎年8月8日には、デッキから弓ヶ浜の花火大会が見えますよ。

 

Maco

リビングは割と気持ちよく過ごせる場所だと思っています。デッキもいいですね。これぐらいの広さのデッキはあまりないと思うので、オススメです。

 

広いデッキにはブランコもあります。外階段もあるので、芝生の庭に下りていくこともできます。

 

―とほネットワーク旅人宿の会への入会を検討したきっかけは何ですか?

 

BOY

北海道の池田町にあるとほ宿の「DoLuck 道楽」に泊まった時、オーナーさんから、「旅と旅行は違う。旅人のための旅宿がとほ宿だ」ということを聞いて、うちのゲストハウスりんもとほ宿に入会しようか考え始めたんです。
ここは観光地で、海水浴客、釣り人、サーファー、ダイバーも泊まります。スキューバダイビングの神子元島(みこもとじま)、シュノーケリングのヒリゾ浜に行く場所として便利なんです。他にもカメラマン、ライダー、チャリダーなど一般的なお客様に加え、ひとり旅の「旅人さん」を迎えたいと思いました。

 

Maco

とほ宿の冊子が好きで、これを持って旅行しているだけで楽しい、これに載りたい、というような感じが私にはありますね。

 

―「ゲストハウスりん」がある南伊豆町とその周辺の魅力や見どころは?

 

BOY

私はここに来て初めて知ったんですが、南伊豆の手石港の堤防に上がると目の前に洞窟が何ヶ所も口をあけているのが見えます。あの洞窟は何だ、ということで調べ始めたら、太平洋戦争末期に小型特攻艇「震洋」の格納庫として掘られた洞窟だったんです。震洋はベニヤ板で作られたボートで、敵艦に体当りする特攻兵器です。
貴重な戦争遺跡ですが、瓶、缶、ペットボトル、漁具、流木などが洞窟内や海岸に多く打ち上げられているので、「震洋洞窟保存会」を立ち上げ、毎月第2土曜日、10時から清掃活動をしています。
うちでは、ご希望により「特攻艇・震洋洞窟」探訪ツアーを行っています。干潮時には、岩場を越え、さらに奥の「秘密の入り江」と大きな洞窟もご案内できます。

 

震洋洞窟保存会の皆さんが清掃活動を続けている戦争遺跡です。実際には終戦となり、ここからの特攻艇の出撃はなかったようです。(写真提供:ゲストハウスりん)

 

Maco

ここは時間の流れ方がちょっと違うんです。下田からこちらへ来る時に峠を越えると、のんびりした時間がふわぁっと流れる感じがあって、それが魅力かなと思っています。あと、うちから石廊崎に向かう海岸沿いの道から見える景色が私のベストビューかな。

 

―こちらでお気に入りのイベントは何ですか?

 

BOY

春は「みなみの桜と菜の花まつり」ですね。今年は2月1日から3月10日までがまつりの開催期間です。今はまだ2月上旬なので桜はこれからですが、菜の花は結構咲いてきました。宿から歩いて15分の日野(ひんの)というバス停の近くに菜の花畑が広がっています。
夏になると、ヒリゾ浜もいいです。抜群の透明度を誇る海岸で、シュノーケリングでもすごく楽しめます。ヒリゾ浜までは歩いていくことはできないのですが、南伊豆の中木港から出る渡し船に乗れば、5分くらいで着きますね。船は7月から9月の、波の高くない日に出ますが、人気があるので港の駐車場が朝から満車になることもあります。

 

Maco

秋には南伊豆町主催でマラソン大会がありますね。町中を全部走ります。スタート地点がうちから歩いて15分くらいのところなので、皆さん泊まりに来てくれます。
一昨年までは100kmのウルトラマラソンでしたが、それは終わって今は「南伊豆町みちくさぼちぼちフルマラソン」という名前に変わりました。制限時間は9時間で日本一緩い上に、5時間以内のゴールは失格になるというルールがあるんです。コースの途中で水分やご当地の食べ物を補給するエイドステーションがあるんですけど、美味しいって昔から評判がいいですね。それでマラソンに参加する人がいるみたいです。競技性がない大会なので順位表彰も無くて、旅気分のマラソン大会なんですよ。

 

いろんな旅人さんが、今日もどこかで

 

―宿泊業以外で、何か地域の活動などはされていますか?

 

BOY

夏になると、近くの弓ヶ浜でウミガメ監視員をやっています。8名で6、7、8月の8日に一度、早朝に弓ヶ浜へ行ってウミガメが産卵した跡がないか見て回るんです。ウミガメは夜中に産んで明け方には海に戻っていくので、足跡だけしか残っていないんですよね。高潮やいたずらから守るため、卵を移動するか、目の粗いケージをかぶせて産卵場所を保護します。
ケージの目が粗いのは、夜に子ガメが孵化したら自由に海に向かえるようにするためです。子ガメは孵化の後、24時間しか活発に活動できません。孵化した子ガメを子供たちに体験学習させるためすぐに海に返さないのは、人の勝手な都合でカメの生存率を大幅に下げてしまいます。孵化したら触ったりしないで、どんどん海の方に行かしてあげないといけないんです。

 

日の出後の弓ヶ浜。穏やかな時間が流れています。

 

―ウミガメが産卵しているところを見てみたいです。

 

BOY

産卵は夜中でいつ来るかわからないから、見るのは難しいですね。
ヒリゾ浜でシュノーケリングをやっている途中とか釣り人や漁師さんもウミガメがぴょこっと海面から顔を出して息継ぎしているところを見たことがあるそうです。

 

―南伊豆に移住して始めたことはありますか?

 

BOY

SUPもカヤックもこっちに来て始めました。目の前の青野川では川面からのお花見ができますし、川向かいにはカヌーのアクティビティのお店もあります。カヌーで川を下れば弓ヶ浜で、さらに「震洋洞窟」の先には伊豆七不思議の「弥陀窟(みだくつ)」という海蝕洞にも漕いで行けるんです。

 

―これまで宿泊された方で印象に残っている思い出はありますか?

 

Maco

関西の男の子だったんですけど、朝8時か9時くらいに、
「今日泊まれますか?」
と電話があって、
「今どこにいるんですか?」
「河津です」
「河津からですとすぐに来れちゃいますけど、うちのチェックインは4時からですが大丈夫ですか?」
「大丈夫です。歩いていきますから」
と。その日、寒かったんですよ。雨も降っていて、彼がうちに着いた時はブルブル震えているような感じでした。近くの温泉までクルマで送迎してあげて、晩ご飯も何も買ってきていないからスーパーに寄って帰ってきたんですけど、いろいろ話をしていたら徒歩の旅を始めて1ヶ月くらいだというんです。
「仕事はどうしたんですか?」
と聞いてみたら、彼は病院の仕事をやっていたところ、ふっと、おれこんな事をしている場合じゃない、と思って仕事を辞めて、歩いて北海道を目指す旅に出たそうです。その後1回葉書が来て、ほんとうに北海道に行っていましたね。
他には、灯台好きのゲストさんですけど、石廊崎の沖にある神子元島という無人島の灯台を見たいために漁船をチャーターして上陸したという女の人がいました。元々はバイクに乗っていて、バイクの人はどうしても端っこ、半島の先端まで行ってしまって、そうすると灯台があって、灯台を見るようになったら灯台が面白いということに気がついて、ずっと灯台を周っているそうです。
それから、船好きの人も印象に残っています。下田から1日かけて伊豆4島(利島・新島・式根島・神津島)に寄港した後に下田に戻ってくる航路があるんですけど、その方はその船に何年か前に乗ったことがあって、でも当時とはエンジンの音が違って聞こえたそうなんです。船員さんに聞いたんですって。
「何年か前に乗った時とエンジンの音が違って聞こえるんですが、エンジン替えましたか?」
「替えました」
そんな風にして日本全国の船に乗っているそうです。

 

―今後の目標を教えてください。

 

BOY

離島、各県の県立美術館、面白い建物、バイクで行くなら旧街道と産業遺産、戦争遺跡が旅のテーマです。

 

Maco

私は庭のことをやったりテレビを見たり本を読んだりマンガを読んだり、旅行も一人で行って、という感じなんですけど、実はそれがすごく気に入っていて、これがずっと長く続くといいな、と思っています。

 

2025.2.5
文・園田学

ゲストハウスりん

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〒415-0153
静岡県賀茂郡南伊豆町手石432-1
TEL 0558-36-3878

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