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とほ宿めぐり

遊民宿 旅の轍

「あえて観光地から距離を置き、
自分の力で集客できる宿に」

遊民宿 旅の轍

鈴木智也さん 奈良県出身。2015年に宿を開業。温泉・銭湯好きで、中学時代から塾をさぼって銭湯でまったりしていた。「のみぞう」の愛称は、お酒好きだということでユースホステルでのヘルパー時代から。当時は多いときで50、60人いた宿泊客すべてを名前で呼ぶよう心がけており、人の顔を覚えるのも比較的得意。数十年ぶりに会った人でも大抵の場合思い出すことができる。

親の影響で蒸気機関車そして鉄道に興味を持つようになり、旅人宿を知ってからは旅自体が目的に。11年間会社勤めをしつつ利尻島のユースホステルでヘルパーをしていた経験がある。北海道に通ううち、安平町に縁ができて心ひかれるようになり移住。宿を開業した。宿は鉄道、お酒のイメージが強いが「どちらにも興味がない方もいらっしゃいますよ。鉄道マニア向けの宿ではないので、旅が好きな方だったら大歓迎です!」。

会社勤めとヘルパーの

2足のわらじをはいていた11年間

 

―現在安平町のSL保存協力会に所属していらっしゃいますが、鉄道にはいつごろから興味を持ちはじめたんですか?

 

保存協力会の活動は月に2回。「追分は国鉄OBの方が多く、協力会の活動も熱心。結束力がすごいです」

 

のみぞう

父親がSL好きだったんです。

 

―そうでしたか。

 

のみぞう

小学校に入るときにおやじが筆箱を買ってくれたんですよ。いろんなところが開くの、ありましたよね。

 

―あ~ありましたね。

 

のみぞう

友達はみんなブルートレインが写っているのを買ってもらっていたんですが、僕の筆箱だけ黒い機関車だったんです。

 

―はは。本当はみんなと同じブルートレインの筆箱がほしかったのに?

 

のみぞう

「なんで鈴木君のだけ?」「この黒い汽車は一体何?」とか言われて。でも、あるとき思いました。この写真は一体どこなんだろうって。いろんなところで聞いたり調べたりしたら、北海道だっていうことがわかったんです。「北海道ってSLが最近まで走っていたんだな」っていうイメージはそこでできました。

 

―旅をするようになったのはどういうきっかけだったんですか?

 

のみぞう

当時、JRの全線を乗り歩く「いい旅チャレンジ20,000km」というイベントがあったんです。それを中学1年生のときにはじめたわけですよ。中1の正月明けに奈良から千葉県のJR全線を乗り潰しに行ったのが僕の初めてのひとり旅です。

 

―いきなり2万キロってすごいですね。…あ、当時の冊子はまだ取ってあるんですね。まわったところを赤く塗ってあるのかな。乗っていない路線もありますね。

 

のみぞう

けっこうありますよ。いまもまだ使ってますよ。

 

―これ、いまも使っているんですか?

 

のみぞう

現役ですよ。当時は全線踏破したら景品がもらえたんですけど、いまはもう終わっているんで、自分で継続しているだけなんですけどね。旅のはじまりはここからでした。

 

中学時代から使っている「いい旅チャレンジ20,000km」の冊子(写真手前)。次は高知に行きたいと考えているそう

 

―初のひとり旅はどうでしたか?

 

のみぞう

一番楽しかったのは、相席になった大学生のお姉さんたちから、缶酎ハイをもらったことですかね、あはは。

 

―中学生ですよね!?

 

のみぞう

まぁおおらかな時代ですから。

 

―じゃあお姉さんたちと仲良くなって…確かにいい思い出ですね~。

 

のみぞう

当時は相席になるといろんな人と話をする機会があったじゃないですか。いまはみんなスマホをいじっていたり音楽を聴いているけど…。

 

―最初は、鉄道に乗るために出かけていたようですが、興味がだんだん旅のほうにスライドしていったのはいつからですか?

 

のみぞう

社会人になってからですね。

 

―大学卒業後の進路はどうされたんですか?

 

のみぞう

酒造会社に就職しました。

 

―おぉ、イメージに通りといえばそうなんですが(笑)。酒造会社を選んだのはなぜですか?

 

のみぞう

お酒が好きだったからです。

 

―シンプル! じゃあ希望通りだったわけですね。

 

のみぞう

まぁそうですね。でも1年たたずに辞めてしまったんですよ。

 

―せっかく新卒で入った会社を…。

 

のみぞう

お酒って冬に造りますよね。でも僕はどうしてもオホーツク海に浮かぶ流氷を見たかったんです。しかし冬はまとまった休みは取れないわけです。それで…若かったということもあり、会社を辞めました。

 

―重い北海道病ですね。

 

のみぞう

そのとき、北海道に行くという話をしていたら、大学の先輩でユースホステル部だった人からユースを勧められたんですよね。

 

―ここでユースホステルと出会ったわけですね。

 

のみぞう

北海道に着いてからは道東中心にまわっていたんですが、行く先々で、利尻島や礼文島のユースに泊まってみろって言われるんです。なので、泊まりに行ってみました。そうしたら、自分と同い年くらいの男の子たちが、ヘルパーという仕事をしていたんです。港では歌ったり踊ったりしているし、和気あいあいと楽しそうで。ぜひ僕も一生に一度、そういう経験をしてみたいなと思いまして…次の年の夏から利尻島のユースホステルのヘルパーになっちゃいました。

 

ヘルパー時代(ギターを弾いている人物右側)。ギターはヘルパーをはじめてから独学で勉強。レパートリーは「ああ利尻島」など

 

―それからヘルパーを11年していたんですよね。

 

のみぞう

夏の間だけですね。

 

―それ以外は何をしていたんですか?

 

のみぞう

会社に行ってました。会社に勤めながらヘルパーをやってたんです。

 

―え? そんなことが可能なんですか?

 

のみぞう

酒造会社を辞めたあと鉄道関係の仕事に就いたんですが、休日出勤が多かったんです。その代休を夏にまとめて取っていたんです。

 

―ふつうだと1か月もまとめて、しかも夏に休みを取るなよって言われてしまいそうですが。

 

のみぞう

だから仕事は一生懸命やりましたよ。いなくてもいいわ、とは言われないようにね。あと、北海道から帰ったら上司には袖の下をちゃんと渡していたんです(笑)。北海道の地酒と珍味でございます、と。「おう、ご苦労。前に買ってきてくれたホッケの燻製はうまかったぞ」とか言われて。そんな感じで上司と仲良くさせていただいて、夏の1か月はユースホステルにヘルパーに行っておりました。

 

―はは。じゃあそういう生活が11年続いていたわけですね。宿を自分でやろうかなと思いはじめたのはどのくらいからだったんですか?

 

のみぞう

2005年ですね。ヘルパーをはじめてから6年目です。

 

―なにかきっかけがあったんですね。

 

のみぞう

この年、ユースホステルのマネージャー講習をうけたんですよ。最初はヘルパーでお世話になったユースの跡を継ごうと思っていたんです。でも講習の内容があまりにも現実とかけ離れていて、こんなに本部と現場の感覚が違うのか、と思ってしまって。

 

―なるほど。

 

のみぞう

いまは「うみねこゲストハウス」(利尻島)の宿主となっているカナコさんと利尻時代から知り合いだったんですが、彼女の紹介で、2003年ころに「小さな旅の博物館」(小樽市)に泊まりに行ったんです。宿主のわんわんさん(遠藤毅さん)とは、SLが好きなことやユースでのヘルパー経験が長いことなどなど共通点が多くてすっかり意気投合してしまって。それで、ユースじゃなくて、こういう宿の形態もいいなぁと思ったのもありますね。

 

―その前からとほ宿のことは知っていたんですよね?

 

のみぞう

はい、旅の途中で泊まったりしていました。

 

―ユースとの違いはどのように感じていましたか?

 

のみぞう

ざっくばらんな感じでしたよね。宿のオーナーさんがきちんと出てきていろいろお話をしてくれて、ユースとは違った温かさがあるな、と思っていました。わんわんさんんには、最終的に師匠になっていただき、この宿の改装も手伝っていただいたり、宿の運営についても教えてもらいました。

 

建物は奈良と往復しながら、わんわんさんや知り合いに手伝ってもらい3年かけてリフォーム

 

―師弟関係を結んでいたんですね(笑)!

 

のみぞう

宿の名前に「旅の」を入れたのも、「小さな旅の博物館」にならってなんですよ。

 

美食・絶景以外の北海道の魅力を知り

蒸気機関車が結んだ縁で安平町へ

 

―会社を辞めてまで見たいと思ったオホーツクの流氷は見られたんですか?

 

のみぞう

見られました。実は、その旅でも大きな出会いがあって。釧路で出会ったおじさんに、レンタカーでウトロまで行くから乗って行かないかって声をかけられたんですよ。でも、そのおじさんは流氷を見に行きたかったんじゃなくて、斜里の越川にある未成線(越川橋梁)を見に行くところだったんです。

 

―「みせいせん」ってなんですか?

 

のみぞう

戦時中に造られたものの、完成しなかった鉄道橋です。物資が不足している時代だったので鉄筋ではなく竹が使われているんです。おじさんに連れられて、はじめてそういう産業遺産的なものを見たわけですよね。

 

―おじさんと出会ってなければ、見ることはなかったでしょうね。

 

のみぞう

一体これは何なんだって思いましたね。普通北海道に来たら、おいしい物を食べていい景色を見る、じゃないですか。まだそういう旅のスタイルだったんですが、このとき北海道にはそういうものもあるっていうことに気づきはじめたわけですよ。

 

―じゃあその未成線も、それまで好きだった鉄道関連のものという意味ではなくて、かつての道具・設備としての魅力があるなと思ったわけですね。

 

のみぞう

そうですね。そのひとつが蒸気機関車でもあるわけですよ。蒸気機関車は当時の人類の英知が詰まった車両なわけです。

 

―確かに。 

 

宿の中には鉄道関係のものがいっぱい。のみぞうさんのことを知った国鉄OBから持ち込まれた物も多い

 

のみぞう

僕が所属しているSL保存協力会では蒸気機関車を昭和51年(1976年)の廃車以降、40年以上大事に保存しているんです。そういう人たちに魅せられてここ、安平に住もうと思ったんです。

 

―そもそも安平に来たきっかけは何だったんですか?

 

のみぞう

宿をやるというよりも、なんとなく北海道に住めたらいいなーと思っていた時期があって。アルバイトをきっかけにどこかに潜り込めないかな、そうしたら移住できるかなって、ユースで働いている時期以外にも、時間ができると北海道に来ていたんです。ところが2005年にアルバイト先で給料の未払い騒ぎがあって。

 

―それは一大事ですね。

 

のみぞう

なんとか給料はもらえたものの、移住どころではない感じで気落ちしていたときに寄ったのが安平の鉄道資料館だったんです。そこで国鉄OBの方たちが楽しそうに蒸気機関車を磨いているわけですよ。その姿を見て、魅力的な町だな、と思ったのが安平に通うきっかけとなりました。それ以降、ヘルパーの仕事の帰りには必ず安平に寄って帰るようになったんです。

 

―そして現在はその会員にもなっていらっしゃると。

 

のみぞう

宿名の「旅の」は師匠である「小さな旅の博物館」からいただいたと言いましたが、「轍」は線路のあと、車輪が走った場所を表しています。ここ、追分は夕張などの炭鉱に行き来する蒸気機関車を整備する基地だったんです。SL保存協力会の人たちと出会う前は夕張や三笠には行ったことがありませんでしたが、ここに来て鉄道と炭鉱が密接に関係していることがわかりました。そういう歴史もみなさんに知ってもらいたいんです。

 

―そう考えると、蒸気機関車はあるし、産業遺産の炭鉱は近くにあるし。いろいろつながりましたね。

 

のみぞう

うまくつながったでしょ(笑)。この場所を知ったのは偶然でしたが、ちゃんとリンクするものがあるんだな、と思います。

 

通過点になりがちな

地元の魅力を伝えるのも宿の仕事

 

―のみぞうさんって、本当にこの地域を熱心に案内していますよね。

 

のみぞう

この地域を知ってほしいんですよ。利尻で宿をやらなかったのは、観光地だから、ということもあります。観光地に宿を構えると、もちろんお客さんはたくさん泊まりに来ますよね。でも、そうじゃなくて、ある程度自分の力でお客さんを集められるところにしたかったんですよ。

 

―すばらしい意気込みですね。でも観光地のほうが集客は楽じゃないですか。

 

のみぞう

楽だけど、観光地があるから宿に泊まりに来るのと、そこに宿があるから泊まりに来るのは違うと思うんです。

 

―全然違いますね。

 

のみぞう

それ、ですよね。観光地でない場所で、いろんなものを見つける拠点にしてほしかったんです。だから手づくりの近隣の地図も用意しているんです。泊まりに来た人に「実はこういうところもあるんだよー」って言うと「じゃあ今度ゆっくり来ます」ってなるわけですよ。

 

宿を中心に、北は岩見沢・三笠、南は苫小牧方面まで地域の見所が凝集された手作りの地図で案内。実際に何度も足を運んでおすすめしているので、その魅力がわかりやすい

 

―実際に同行することも多いですよね。

 

のみぞう

紙を渡して「はいここに行ってください」だと、そこに到達できない可能性がありますよね。特にここは観光地ではありませんから。だからみなさんにね、CMの撮影に使われた場所に行こうよとか、おいしいアイスを食べに行こうよとか、誘っているわけです。

 

―どうしてこの地域のことを知ってほしいと思うんですか?

 

のみぞう

空港のすぐそばなので通過点になってしまっているからです。有名な場所を見たいというのはよくわかるんですけど、そうじゃないところにも見所はいっぱいあるんだよというのを知ってもらいたいんです。

 

―それほどいいものがあるということですね。

 

のみぞう

そうなんですよ。富良野・美瑛に負けない景色もありますし。

 

―私ものみぞうさんに案内してもらった、菜の花の丘の景色に驚きました。穴場的な感じで、あれは連れて行っていただかないとわかりませんね。

 

のみぞう

そういうのを自分の力で発信しないとだめですよね。観光地ではないので。そしてこういうところもあるんだってお客様に喜んでもらえることが一番です。「知らなかったところを教えていただきありがとう」って言われるじゃないですか。それがやりがいだし、宿のやることかなと思いました。そういう意味では宿は泊まるだけの場所ではないと思います。

 

―本当にそうですね。

 

のみぞう

こういう形の宿をやることにしたもうひとつの理由がですね、お客様ひとりずつと向き合ってお話しできるようにしたいなと思ったんです。ヘルパーをしていたユースホステルは50人60人の大規模の宿だったので。

 

―旅の轍は定員10名。満室でも、確かにみなさんとじっくりお話しできますね。

 

のみぞう

若いころは、旅先でビールをごちそうになったり、食事をしに入った食堂でお風呂に入れてもらったり。本当にみなさんによくしていただいたんで、今度は自分の番だと思っています。特に若い世代の人たちにこういう宿で楽しんでもらいたいんですよ。だから宿の料金も、大学生にリサーチしました。「素泊まりだったら2000円台じゃないと厳しい」って言われて3000円以内におさまるようにしました。

 

―でも経営的にはかなり厳しくないですか?

 

のみぞう

採算以上のものがあるからいいんです。また来てくれますから。

 

―10月で開業から3周年ですね。どうですか、3年経ってみて。

 

のみぞう

すでに何回も来てくださっているお客様もたくさんいますし、地域にもいっぱいお友達ができました。

 

―「泊まれる居酒屋」とも言われていますよね。

 

のみぞう

奥さんとけんかしちゃって帰れないから泊めて、とか、パークゴルフの打ち上げをしたいから場所を貸してくれてって言われることもあります。

 

―思い描いたような宿の運営はできていますか?

 

のみぞう

できていると思います!…でもちょっと飲みすぎかな(笑)。

 

2018.10.16
文・市村雅代

 

 

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勇払郡安平町追分青葉1-24
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