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とほ宿めぐり

民宿 木理

「開業当初はバイトの日々。 
でも自然の中で暮らせてよかった」

民宿 木理

加藤正道さん 北海道出身。1995年開業。いとこの影響で現像に興味を持ったことからカメラマンの道に進む。20歳のころにはじめたモトクロスバイクは現在も続けており、年に3、4回大会に出場。「バイクも乗ってる人間も古いんだ」という20~30年前のバイクを使ったヴィンテージレースが主戦場で、愛車はホンダCR(1987年型)。昨年練習中に骨折した右肩は完治したものの、左の五十肩に悩む日々。

自然豊かな場所で暮らしたい。そんな思いで社会人になってから再会した中学高校時代の同級生の妻・伸子さんと2人の子どもを連れて札幌市近郊から標茶町へ。ゴヨウマツの林の中に建てた建物で民宿をはじめた。当初はアルバイトをいくつも掛け持ちするなど苦労もあったが、それすら楽しく、自然の中で動物たちとの生活を満喫してきた。釧路川を下るカヌーツアーはひとりから申し込み可能。

同級生と再会し結婚

自然に囲まれた場所を求めて標茶へ

 

―加藤さんは、宿主でありカメラマン。宿業と平行して、フリーランスで広告や雑誌の撮影をされていますが、カメラマンになったきっかけはなんだったんですか?

 

加藤

子どものころ、いとこが写真を撮ってて、最初は現像に興味を持ったんだよね。

 

―そこからですか!

 

加藤

それで現像するために写真も撮るかって。仕事で写真を撮るようになるまでは現像のほうに重点を置いていたかな。

 

―カメラは家にあったんですか?

 

加藤

オートフォーカスのコンパクトカメラはあったけどね。高校に入ってからはアルバイトして自分で一眼レフを買った。それで高校の卒業アルバム撮らされたり。

 

―自分の高校の?

 

加藤

写真屋さんも撮ってるんだけど、行事だとか休み時間のはオレが撮ったりしてたの。自分でプリントまでしてアルバム原稿作って。あと、オレのクラス分の生徒手帳に使う顔写真も撮ったな。

 

ーじゃあ同級生にこっち向いて~って言ったりしていたわけですね。

 

加藤

理科室かなんかでスライドを上映するスクリーンをバックに。照明のことはまだよくわからなかったから、確か簡単に自然光で撮ってたんだ。それを現像してプリントして先生に納品。

 

お酒の場を盛り上げる宿主とはまた別の表情の「カメラマン」加藤さん

 

―そういえば、奥さんの伸子さんとは中学高校の同級生だったとお聞きしていますが。

 

伸子

私が中学3年で滝ノ上に転校してきたの。

 

―同じクラスだったんですか?

 

加藤 伸子

どうだったかな?

 

―そんなに仲良くなかったんですか?

 

加藤

うん、中学高校では話したことなかった。

 

―いつ仲良くなったんですか?

 

伸子

10年後。中高一緒だった友達の結婚式で会って。ありがちよね。

 

―それから時を経て、さぁ結婚ってなったとき、宿をする話は出ていたんですか?

 

加藤

結婚して最初は札幌のアパートに住んでいたんだけど、2人とも住宅地だとか都会的なところはあまり好きでなくて、広島町(現北広島市)にちょっと広めに土地を買って家を建てたの。土地の値段も安いし隣近所もいなくて広々してるし、ここがいいって。子どもも2人生まれたし、これで安泰だと。オレはこのまま一生働けばいいんだ、と。でも5年くらい経つとね、まわりにどんどん家が建って住宅地になっちゃったんだよ。それでオレはこんなところはいやだと。このまま一生ここにいるのはいやだと。

 

―当時はすでにフリーでお仕事されていたから、住む場所は比較的自由に決められたんですね。

 

加藤

十勝の八千代牧場が見えるあたりもいいなぁと思ったりしていたんだけど、買い物とか病院で不便な思いをするのもイヤだなと思っていて。そのころ取材で釧路湿原をまわっていて、それで標茶いいな、と。網走やウトロ、根室、阿寒…どこか遊びに行くにもほとんど2時間で行けるし。

 

ー確かに道東のめぼしい観光地に行く拠点としては便利ですよね。

 

加藤

しかも、そのとき町内にあったとほ宿に泊まったら楽しくて。それで何回かその宿に家族でも泊まりに来たんだけど…こう言っちゃなんだけど、民宿っていうのは楽だなと。お客さんと酒飲んで騒いでいたら金もらえるんだーって(笑)。で、引っ越しを決めたの。標茶行くって。

 

―えー! 田舎の方に住むということでは意見は一致していたと思うんですけど、宿をっていうのは奥さんは賛成だったんですか?

 

伸子

うん。大変さもわからず(笑)。その標茶のとほ宿に泊まりに行って、こういう宿いいなって。

 

加藤

元の家も売っちゃったし、とりあえず仮住まいでもいいからって標茶に来た。たまたま取材で知り合ったここの土地のオーナーに、どっかないかって話したら、「うちの土地どうだ」って。それで簡単に決めちゃった♪

 

―はは。でもいい場所ですよね。釧路川はすぐだし。国道が目の前なのに、木立に囲まれてて雰囲気はいいし。

 

加藤

自然の中で暮らしたいという思いが強くて、最低限重機が入る分だけ木を切ってもらって建物を建てたんだ。

 

―そうだったんですね。

 

「木理(もくり)」とは木肌の表面にあらわれる模様のこと。「いろいろ考えて、木立の中にある宿のイメージに合うものに」とこの名前に

 

加藤

どうせ建物を建てるなら民宿ができるようなつくりにしようと。それで金額的に不足した分はカメラマンをやればいいかって簡単に考えていたの。でもあのころは、写真業だって毎日仕事があるわけじゃなくて。それでしばらくいろんなアルバイトをしていた。

 

―どんなことをしていたんですか?

 

加藤

なんでもやったよ。あんなに働いたことないよオレ。まず、朝から夕方の5時までは水道工事だとか建設会社の土木作業。6時から8時くらいまでコンビニ。8時から12時くらいまでがカラオケ。昔、隣りにカラオケボックスがあったの。その受付。

 

―働きましたね!

 

加藤

昼間のアルバイトはなんだかんだ言って5~7年くらいしてたけど、あとは最初の1、2年だけかな。

 

伸子

私も町の授産施設で働いてたの。9~4時までね。あと7月~11月上旬までは大根農家のお手伝い。

 

加藤

大根の作業に行ってるときは、母ちゃんは夜の8時半か9時には寝てた。

 

伸子

朝の3時から6時半まで作業だったから。7時前に帰ってきて、8時に宿の朝食。ははは。

 

―えー!

 

伸子

最初の3年間くらいは、お客さんを送り出して掃除してから、また大根の選別に行ってたの。買い物をすませて帰ってきたら、玄関先にもうお客さんがいるってことはちょくちょくありましたね。

 

―昼間外で働いて、夜は宿業…。

 

加藤

母ちゃんが寝てからはオレがお客さんの相手。でもあの当時はお客さんも元気で12時とか1時とかまで飲んで騒ぐわけ。「オレは朝から仕事に行かなきゃいけないんだよ」とか思いながら(笑)。

 

―すごーい! 加藤さんのことちょっと見直しちゃいましたよ。奥さんも大変でしたね。今の時間割の中でちゃんとお掃除までしてってすごいな。宿は広いですけどきれいですよね。

 

伸子

昔は、掃除は行き届いていなかったと思う。本当に忙しくて。今でこそ時間をかけてじっくりできるけど、家の中で走っていたもんね。

 

美術や音楽が大好きな伸子さん。「夏の忙しい時期はいいライブも多いのに行けないのが残念。お客さんとの飲み会はめっちゃ楽しいんだけど(笑)」

 

―体は壊しませんでしたか?

 

伸子

若かったから。いまやったら一回で1週間寝込む! あはは。

 

加藤

まぁそんな生活も7年くらいさ。なんだかんだ言って宿のお客さんも増えてきて、写真業も忙しくなってアルバイトをやる時間がなくなった。

 

―そんな苦労をしても、標茶に来てよかったって当時思ってました?

 

加藤

思ってたね!

 

伸子

朝の大根の作業は楽しかった~。10月くらいになると朝帰ってくるときにちょうど日の出の時間で、茅沼あたりの東の空が雲海みたいになってきれいでね。だから、早起きは三文の得だって。

 

―じゃあ、肉体的には疲労感はあったけど、精神的には元気だったと。

 

伸子

全然楽しかったです。

 

加藤

オレも20数年、写真業しかやってなかったけど、土木作業って楽しいなって思ってた。結構、自分で創作する部分があるじゃない。あといろんな機械に乗れる。ユンボとブルドーザーの免許持っているカメラマンってたいしたもんだなって思って(笑)。いまでもちょっとした水道の工事は自分でできるよ。

 

料理は伸子さんの担当。旅行中に不足しがちな野菜をたっぷりと。道産品を使って、品数を多く出すよう心がけているそう

 

釧路川を下る人気のツアー

きっかけは家族みんなでつくったカヌー

 

―木理ではカヌーでの川下りも人気ですよね。

 

加藤

たまたま標茶にカヌークラブがあって、標茶に来た次の年にウッドカヌーを手作りするっていうのを町の広報かなんかで見たんだよ。カヌー自体は札幌の知り合いがシーカヤックをつくるのを見たり手伝ったりしてたの。取材で千歳川で乗ったりもしていたし。

 

―じゃあ元々興味があったんですね。

 

加藤

土木作業員のアルバイトの一時金が出たタイミングで、金額的にもちょうどよかった(笑)。この金額でつくれるんならつくってみたいなっていう。それでウッドカヌーを家族みんなで1か月くらいかかってつくった。で、つくったらやっぱり乗るじゃないですか。

 

―そうですね。

 

加藤

そうしたら、お客さんも乗りたいって言うから塘路湖(とうろこ)で一緒に乗ったり。でも最初はあっちぶつかり、こっちぶつかり。

 

伸子

私は到着地点で待ってたんだけど、そこらでくるくるまわってるんだよね。最初はサービスで遊んでるのかな、と思ったんだけど…(笑)。

 

加藤

操船なんか習ったことないし。こっち漕いだらこっちに曲がるだろうっていう程度でやってたもんだから。でも毎日漕いで場数を踏んでいれば、まともになるもんだなって。

 

―料金設定をして、ツアーにしたのはいつからなんですか?

 

加藤

ウッドカヌーをつくった次の年くらいかな。これはきちんとしたツアーにして、釧路川を下ろうやと。

 

―ツアーをはじめたころには技術も安定していたんですね?

 

加藤

そうだね、カヌーの操作はもちろん、レスキューの講習も受けたし。ツアー料金はひとり2000円くらいだったかな。

 

―それは安い。

 

加藤

うちの場合は格安さ。泊まったお客さんへのサービスの一環だと。そうしたら次から次へとお客さん増えちゃって、1日3回とかね。多いときはガイド2人頼んで、3艇4艇出して、それでも何往復もしたりして。

 

編み目のような湿原の中の川を進む「湿原カヌー下り」。現在は5900円(保険料込み)。GWから10月末まで実施

 

伸子

カヌーに乗りたくてくるお客さんは、いまも多いね。釧路川はダムないし。

 

加藤

乗ればわかるんだよ。人工物が全くない。

 

―カヌーツアーはどんな内容なんですか?

 

加藤

一番のウリは、カヌー業者がレギュラーとして使っていないコースに行くこと。ほとんどほかのカヌーと会わない、プライベートコースみたいな感じ。時間は早朝6時半にスタート(9時スタートの回もあり)。朝もやの雰囲気がいいから。朝早ければお客さんも1日の時間を有効に使えるだろうっていうのもあるね。あと、なんと中州でカヌーを止めてカヌーの中で朝飯を食べるんだよ。鳥の声を聞きながら朝もやがふわーっと晴れていくのを眺めつつ食べる朝飯…。

 

―わぁいいですね。

 

子ども時代からの動物好き

宿の歴史はイヌとともに

 

―ツアー中に遭遇した鳥や動物の説明もしているんですか?

 

加藤

それもやってるよ。タンチョウやシカ、あと水の中にいる貝を見たり。中州についている足跡を聞かれたら教えてあげたり。

 

―動物はもともと好きだったんですか?

 

加藤

動物は好きだったね。小さいころから動物に限らず虫もヘビも飼ってた。アリも飼ってたな。

 

―アリって飼えるもんなんですか?

 

加藤

アリをね、水槽に入れて黒い紙を貼っとくの。たまに紙を剥がして「巣がだいぶ広がったな~」「ここ卵の部屋だ」とか。

 

―断面図になってるわけだ。それはおもしろそう! アリは何匹入れたらそうなるんですか?

 

加藤

何匹って…アリの巣ぶっ壊してそこに入れとくだけだから、何匹っていわれても。

 

―あはは。ほかには何を飼ってたんですか?

 

加藤

イヌはずっといたね。あとウサギとかヘビ。子どもだから恒例行事のように春はオタマジャクシ。大型動物は自分では飼えなかったけど、親類の農家のところには羊もヤギもいて馬も乗れたし。

 

―好きだったんですね~。ウサギはペットだったんですね?

 

加藤

うーん、ペットだったけど、野ウサギとっ捕まえてくるから。

 

―野ウサギ…。

 

加藤

標茶に住んでからは、ニワトリも飼ってたし、イヌ、ウサギ、あと馬…。

 

―馬!? ここで? 馬はさすがに大変じゃないですか? 

 

加藤

道産子飼ってたの。

 

―散歩はどうしてたんですか?

 

加藤

散歩なんてしないよ。

 

伸子

蹴られる(笑)。馬は、こっちが素人だってわかってて、バカにするんですよ。馬の扱いに慣れている人が来るとおとなしいのに。だから最終的には農家に預けました。

 

―なんで飼いはじめたんですか? 馬飼いたいねーって?

 

加藤

信用するかわからないけど、午年のときの標茶のイベントで、うちの3歳のお客さんが羊ダービーの馬券(羊券)を買ったの。その券から特賞が当たって、景品が馬。

 

―うそみたい。

 

加藤

本当なの。ミナミちゃんっていうお客さんだったから馬はミナミ号って名前にして。お客さんは関東でマンション住まいだったから、馬なんか飼えない、木理に置いていくって。馬だけにウマくやれば、お客さん乗せて場内馬場を歩けばいいんじゃないかなと思ったんだけど…そうするにはまず調教しないと(笑)。

 

―そうですね(笑)。そうやって、動物は常にいたんですね。いまもイヌがいるし。

 

加藤

うん、イヌはずっといたね。成犬8匹いたこともあるよ。最初に家を建てたのも、イヌを飼いたい、どうしてもイヌが飼いたいっていう理由だったのよ。アパートじゃ飼えなかったから、職場の近くのイヌをオレが散歩させてたくらい。

 

木理の玄関前で出迎えてくれる、ピーちゃん。おとなしく利発!

 

―本当に好きなんですね。

 

伸子

3匹が同じくらいのタイミングで7匹ずつ子犬を生んだときは一気に21匹増えたけど…あのときはめちゃくちゃ大変だったね。わー、こっちでミャーミャー言ってる! あっちでも! みたいな。

 

―その子たちはみんなもらわれていったんですか?

 

伸子

うん。それで、もらわれていかなかった子はうちで飼ってたから、最終的に8匹になっちゃったんだけど。

 

加藤

8匹目はね、保健所からもらってきたの。カヌー仲間だった保健所の次長が「おまえ冬は暇だろ? 保健所で臨時職員として使ってやる」ってアルバイトしたことがあって。何の係かと思ったら、なんと狂犬病予防係。保護犬も担当なんだ。そしたらある日、オレがよーく知っているイヌが来たの。関西出身の知り合いのイヌで、飼い主が帰省するときはうちで面倒を見ていたんだ。その人が震災をきっかけに地元に戻ることになって、イヌを連れて帰れないからって保健所に連れてきたんだね。

 

―あぁ…。

 

加藤

だからそのイヌがオレの顔を見るわけ。「とーさん、助けてくれー」って。なぁおまえ、うちにイヌ7匹もいるんだぞ。これ以上イヌ増えたら、オレ母ちゃんに怒られるかもしれない。でも命かかってるからなぁって。電話して、母ちゃんにうちに来ていたあのイヌだって話したら、7匹でも8匹でも一緒でしょ、連れてきなさいって。

 

―うんうん。

 

加藤

家に連れて行こうとしたら、保健所だから、ちゃんと登録してください、お金も払ってくださいって。人助けっていうか犬助けで飼おうって言ってるのに…(笑)。

 

伸子

その子は、やっぱりほかの7匹からするとよそものだったね。あんまりなじめなくて。ほかのイヌはほとんど老衰で死んだけど、その子は病気で死んだんだよね。あと車にはねられて死んじゃった子もいたし…。

 

―お別れを考えると、動物を飼うことをちょっと躊躇しちゃうんですよね。

 

加藤

しょうがない。人間よりも動物は寿命が短い。イヌの方が先に逝くんだ。

 

―そうやってずっとイヌがいる暮らしだったんですね。

 

伸子

最後の老犬が死んで3か月くらいはイヌがいなかったんだけど、友達からイヌいらない?って言われて。それが、いまいるピーちゃん。だからイヌいない歴3か月。いま9歳だから、長生きしてもあと7、8年かな。私たちとどっちが先って感じだけど(笑)。

 

加藤

オレの方が先によたよたしてたら、ピーちゃんが面倒見てくれるべ(笑)。

 

2018.11.13
文・市村雅代

 

 

民宿 木理

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〒088-2338
川上郡標茶町南標茶
TEL 015-485-1785

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