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とほ宿めぐり

トシカの宿

「思い入れのある宿を
人手に渡したくなくて二代目に」

トシカの宿

吉沼光子さん 東京都出身。1985年に宿を前オーナーから引き継いだ。中学時代は同級生と丹沢(神奈川県)などで登山をし、高校時代にひとり旅に出かけるようになるが「そのころは北海道は全然頭になくて、おもしろみもわからなかった」と北限は東北地方だった。小学校5年生から日記を毎日つけはじめ、今は宿のブログをほぼ毎日更新している。ペットは柴犬の湖ハル(コハル)と冷蔵庫で飼っているクリオネ。

手に職をつけるために専門学校に行ってみたり、宿でヘルパーをしてみたり、海外で暮らしてみたり。様々な経験を経て最終的に落ち着いたのが「トシカの宿」。2代目オーナーとなってクッチャロ湖畔で33年過ごしてきた。近隣に有名な観光地はないが、バイク乗りに人気の直線道路、エサヌカ線のほかエゾカンゾウが見事に咲く場所や探検気分を味わえる鍾乳洞など楽しめるスポットは多い。

人生を変えるきっかけとなった

前オーナーとの出会い

 

―トシカの宿と言えばジンギスカン1時間食べ放題ですよね。肉が分厚い!!

 

吉沼

1枚80gくらいかな。

 

―さらにカニとホタテのお刺身付き。これで2食付き5300円とは…。

 

吉沼

ジンギスカンは、値段も上がってきているので正直やめたいんだけど(笑)お客さんはみんなそれを狙ってくるからね。

 

多くの旅人の楽しみ、ジンギスカン食べ放題。連泊の人には別のメニューを用意

 

―ジンギスカンを毎日出しているのに、室内が全然べたついてないんですよね。

 

吉沼

毎日食事が終わったら、床を拭いているから。

 

―食後に毎日? だからきれいなんですね。

 

吉沼

ジンギスカンって脂がすごいんですよ。換気扇もね、1週間も放っておいたらベトベトになるし。

 

―ということは1週間に1回は掃除していると言うことですか?

 

吉沼

1週間~10日に1回くらいかな。天井も1年に1回は拭いていますよ。

 

―うわ、大変…。ジンギスカンは鍋を洗うのも大変ですよね。

 

吉沼

鋳物の鍋で洗剤が使えないからひたすらこすってますよ。いまは使うのがだいたい2台くらいだけど昔はお客さんがいまよりも多くて5台、6台使っていたから、洗うだけで手が腱鞘炎に…。

 

―名物料理の裏にそんな苦労があったとは。ジンギスカンは先代オーナーの時代からのメニューなんですよね。そもそもトシカの宿の2代目オーナーとなったきっかけはなんだったんですか?

 

吉沼

きっかけはサロマにある宿でヘルパーをしたことと、その宿でトシカの宿の先代オーナーと知り合ったことですね。

 

―いまのとほ宿の宿主の中にもかつてそのサロマの宿でヘルパーをしていた人は何人かいますが、当時は「超ブラック企業だったよ~」「働かされたよ~」と聞きますね(笑)。

 

吉沼

はは。500円玉ひとつくらいはもらいましたよ。

 

―1日!?

 

吉沼

「これで昼、ラーメンでも食って来い」って。

 

―それで「やったー」みたいになっていたんですか?

 

吉沼

そうそう(笑)。でもお金もらうのが目的じゃないから。

 

―じゃあ楽しく過ごしていたんですね。

 

吉沼

あの宿はとほ宿みたいな旅人宿のハシリですからね。みんな雑魚寝で。それで旅行者も満足している状態。泊まれればいいっていう感じで。ヘルパーも食堂みたいなところに寝ていたから。

 

ー同年代ばっかりだっただろうし。

 

吉沼

そうですね。そこは宿業のほかに、釣り船とお土産物屋さんもやっていたから忙しくて。私も釣り船を出せるようにって、小型船舶操縦士1級の免許を取ったんですよ。試験には2回落ちたけど(笑)。

 

―小型船舶の免許!?

 

吉沼

それが…桟橋から離れるときにけっこう力がいるんだけど、体力がなくて。結局船は出せずじまい。

 

―以降その免許を使うシーンは…。

 

吉沼

1回もない。釣り船の係もクビになったし(笑)。

 

―小型船舶の免許でまさかのペーパー! 

 

吉沼

はは。

 

―そんな中、トシカの宿の前のオーナーさんと知り合ったわけですね。

 

吉沼

前のオーナーがここ、浜頓別で宿を建てるっていうのを聞いて、じゃあちょっと手伝おうってことになって。もう43年前のことだけど。

 

現在食堂と客室のある建物はその後建てられたもの。吉沼さんが手伝って建てた最初の宿の建物は現在ヘルパーの宿泊用に使用

 

―宿づくりはヘルパーをしながらだったんですか?

 

吉沼

いや、ヘルパーの仕事が終わって、10月に来たんです。前のオーナーは9月くらいからはじめていたのかな。ほかにその宿で知り合った仲間4人もいて。私は1か月半くらいしかいなかったけど、全部で半年くらいかけてつくったと思います。

 

―建築の経験者はいたんですか?

 

吉沼

前のオーナーは土木関係の仕事をしたことがあったみたい。でも本を見ながらつくってた(笑)。…それにしてもみんな、よく文句も言わずに作業を手伝ったと思いますよ。10月から11月半ばの、ちょうど冬に向かう時期だったんだけど、泊まる場所は断熱材なんかない元牛小屋の2階。1階ではニワトリが飼われていて臭くてね。その上朝の4時半になるといつも同じ鶏が鳴き出して目が覚めちゃう。いつかそいつを唐揚げにして食べるってみんなで話してた(笑)。

 

ー作業で疲れているのに、それはつらい…。

 

吉沼

トイレはスコップを持って林で…だし、水は20Lのポリタンクを持って大家さんの家や町営のビニールハウスまで1日2往復。私は炊事の担当だったんだけど、電気がなかったから、料理ができているか鍋の中を確認するためにろうそくを近づけて、ろうを中に垂らしちゃったり。洗濯は手洗いだったからなるべく洗濯物を出したくなくて、寒いのを我慢して靴下もはかないようにしていたし。もうとにかく言い出したらきりがないくらい。

 

―大変でしたね。…でもなんだか、ちょっと楽しそうでもあります(笑)。

 

吉沼

お金は全然なかったけど、前オーナーの思いだけは熱くて。夢と希望と実践力と忍耐力があれば、お金は全然なくても思いは叶うものだと彼を見ていて感じましたね。

 

宿のすぐ裏にあるクッチャロ湖。「トシカ」は水辺を意味するアイヌ語

 

宿を閉めると聞き

2代目宿主になることを決意

 

―けっこう自由に行動されていたみたいですが、当時は学生だったんですか?

 

吉沼

いや、プー太郎だったから。専門学校に行ったり、ちょっとアルバイト的に働いてみたり。専門学校は洋裁学校とかいろんなのに行ってたんだけど、どれも合わなくて。親からしてみれば厄介者だったんじゃないですか(笑)? そんな中で、旅行って言うのは常に頭にありましたね。

 

―宿が完成した後も浜頓別にはちょくちょく遊びに来ていたんですか?

 

吉沼

10年くらい来なかった。海外のほうがおもしろくなっちゃって。で、ここがどうなったのかと思って久しぶりに前のオーナーに電話をしたら、もうやめたいんだって言われて。それで跡を継いだっていう感じです。

 

朝食には自家製のパンとジャムが。この日はすりおろしたレモンとバターと卵でつくるレモンカードが食卓に

 

―「やめたい」と聞いて「よっしゃ、やってやるか」と、なったんですか?

 

吉沼

やる気はあったけどお金がなくて。信用金庫からお金を借りようとしたら、宿主としての年数が浅いってかたっぱしから断られて。その上保証人には町内在住の人を3人出せって言われたけど、誰も知らないところに来て、そんなことお願いできる人いるわけないじゃないですか。

 

ーそうですよね。

 

吉沼

結局母親がお金を貸してくれて。残りは前のオーナーに借金して、毎年少しずつ払うっていう条件ではじめたんです。でも、母親も1年くらいで帰ってくるんじゃないかと思っていたみたい。兄姉からそう伝え聞いたときは「それでもお金を貸してくれたんだ」ってその気持ちがすごくありがたかった。

 

―本当ですね。

 

吉沼

母親は、高校時代のひとり旅の旅費とかも出してくれたし、好きなことならってお金を出してくれたんです。いま考えたら、この宿も、引き継がないで売ってしまえばよかったんだけど、建物をつくるのを手伝ったこともあって思い入れがあり、人の手に渡したくなかったんですよね。

 

身近な自然をテーマに

浜頓別の「いま」を毎日発信

 

―廊下に「作業中」の木工作品がありましたが、洋裁の学校に通っていた時期もあったということですし、ものを作るのがお好きなんですね。

 

吉沼

針金とかビーズでアクセサリーを作って暮らしていたこともあったけど、浜頓別に住むようになったら木工のほうがおもしろくなって。

 

ただの置物ではなく、きちんと動くようになっている自作の木工品。完成後の姿が楽しみ

 

ーかなり精巧なつくりで驚きました。

 

吉沼

お客さんに頼まれるとそっちを優先して自分のは後回しになっちゃうからなかなか進まなくて。宿をはじめたころはお金がなかったから、お土産用にスプーンやキーホルダーもつくってました。

 

ー器用でいいなぁ。

 

吉沼

器用貧乏って言うんですよ。専門的なことはできないっていう(笑)。

 

ー幅広くっていうのもいいじゃないですか。自分で自分を食わせられる女ってかっこいいですよ。

 

吉沼

かっこよくないですよ。でも、私がひとりでここをやっていると「へ~えらいね」とか男性は言うわけよ。そういうのがすごく嫌で。男も女も一緒だよって。ただ…ひとりで宿をやりたいっていう女の子が来たときは、やっぱり「大変だよ」っていうことは言ってました。

 

―それは女性ならではの大変さですか?

 

吉沼

そうそう。女ひとりというのは甘く見られるのかな。弁護士さんに相談するようなこともあったし。あとやっぱり力仕事とかそういう面ではね、どうしても。

 

―ここは敷地も建物も広いですからね。

 

吉沼

屋根の雪下ろしとかは、もうやっかいな感じにはなってきてますね。敷地は300か400坪…? 道立公園内なんだけど、境界がどこかねっていう感じで。

 

―それだけ広いと草刈りも大変ですね。

 

吉沼

まぁ人が歩くような部分はやらないとまずいけど、あんまりきれいに刈っちゃうと、動物が来なくなっちゃうからね。あ、いまシマリスがひまわりの種を置いているところに。

 

―わぁ。

 

トシカの宿の常連、シマリス。ほかエゾリスとの遭遇率も高い

 

吉沼

エゾリスもみんなが朝食を食べているときにちょろちょろ出てきますよ。リスは、タンポポの根っこや葉っぱをかじってたりするんで、庭をあんまりきれいにしちゃうのもよくないかなと思って。

 

―ほぼ毎日更新されているブログでも、浜頓別の自然に触れていますね。

 

吉沼

昔は動植物なんて全然興味なかったんだけど、癒やされるのかな、疲れているのかな(笑)。

 

ーこれだけリスの行動をじっくり眺められたら、本当に癒やされますよ。

 

吉沼

ブログも最初は旅人だけが見ていると思っていたんだけど、地元の人も見ているらしくて。けっこう言いたい放題やってたんだけど(笑)。でもここに来たお客さんがいろんなところに散らばってるわけじゃないですか。そういう人たちが浜頓別はいまこういう感じなのかって見てくれたらいいなっていう気持ちはあります。

 

常連客が書き残していった「友の会」のノート。特別なグループがあるわけではなく、「チャリダー」「ヘルパー」などそれぞれの興味・経験で書き込みOK。参考になる情報も多い

 

ー長続きするものがなかったといいますが、宿業は続いていますよね。

 

吉沼

前のオーナーが宿をはじめたのが1975年。私が引き継いだのが1985年。この宿を33年続けてこられたのは、何と言っても長年訪れてくれる旅人たちの優しさ、気遣いがあってのこと。大学生のころに来はじめて、就職して、結婚して、家族を連れて来てくれる人もいる。だからぼちぼちやめようと思いながらもなかなかやめられない(笑)。

 

ーここで吉沼さんが宿をやっている限り自分も頑張るっていうとほ宿の宿主もいますよ。

 

吉沼

私の中でも、とほ宿という同じような考え方の宿がほかにもあることで自分も頑張ろうと思う気持ちがありますね。そういう意味でも、とほ宿の仲間たちに出会えたことは、私の人生で大きかったと思います。

 

 

2018.10.2
文・市村雅代

 

トシカの宿

トシカの宿

〒098-5739
枝幸郡浜頓別町クッチャロ湖畔89
TEL 01634-2-2836

トシカの宿ホームページ

次回(10/16予定)は「旅の轍」鈴木智也さんです。

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