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とほ宿めぐり

旅人・宿B&B いちえ

「礼文島で旅が180度変わった。
人生が狂ったのはそこから(笑)」

旅人・宿B&B いちえ

久保田桂子さん 千葉県出身。親の影響でスポーツ観戦好きに。実はかなりの酒豪で、旅人時代は一升瓶を抱えて宿に泊まりに行くことも。2001年に宿を開業したが、当初の宿名の候補は「のんだくれ」。しかし知り合いの宿主に反対され現在のものに落ち着いた。北海道コンサドーレ札幌の試合がある日はチームのバンダナを着用。宿はチームのサポートシップパートナーとなっている。

学校を卒業して大手企業に就職。当時は当然と思って進んだ道だったが、次第に疑問を抱くようになり退社。1か月のヨーロッパ旅行で北海道に縁ができ、4年間通いつめた後小樽市に移住。16年間OLとして働いていたが、会社の廃業をきっかけに宿を開業した。プロサッカークラブの北海道コンサドーレ札幌は誘致の段階から応援しており、選手からは親しみを込めて「小樽の宿のおばちゃん」と呼ばれている。「時間のあるときはひたすら小樽を歩いている」ということで穴場・小道にも詳しく、小樽観光の面でも頼りになる存在。

有名企業のOLから
派遣で稼いで北海道に通う生活へ

 

ー「いちえ」に来ると、最初に抹茶を出していただけるので、とてもホッとします。

 

久保田

一期一会の最初ですからね。

 

ー茶道はいつからやっているんですか?

 

久保田

20歳のころからかな。当時勤めていた会社の上司から「落ち着きがないから、何かやりなさい」って言われて(笑)。

 

ー宿をやる前は東京でOLをされていたんですよね。

 

久保田

もう何年前?って話ですけどね(笑)。電機メーカーの東芝で経理をしていたんです。簿記の資格は持っていたけど大きな会社だったからあんまり関係なくて、当時の女子は使いっ走りみたいな感じ。ふつうは何年かしたら職場結婚という形になるんだけど、私はそこには全く引っかからず(笑)。居心地はよかったんだけど、下の名前で呼ばれていたのが名字で呼ばれるようになったりすると、これでいいのかな、と思いはじめて。ちょうど25歳くらいだから、将来のことを考えるわけですよ。

 

ーそういえば、かつては女性の婚期をクリスマスケーキに例えて言ったりしてましたね。25以降は売れ残り…って。いまでは考えられないですね。

 

久保田

いまだったらセクハラよね(笑)。そういう時代だったのよ。それで心機一転、ヨーロッパへ1か月旅行に。まぁそれが辞める理由ですね。そうでないと辞められなかった。

 

ーヨーロッパはひとり旅だったんですか?

 

久保田

ひとりだったけど、9か国をまわる約1か月のツアーに参加して。そこで小樽から来ていた女の子と知り合ったんです。それで、その旅行から帰って、はじめてちゃんと北海道に行ってみたの。

 

ー北海道ははじめてではなかったんですね?

 

久保田

当時「アンノン族」の旅っていうのが若い女の子の間で流行ってて。

 

ーなんですか、それは。

 

久保田

雑誌の「an・an」「non-no」に影響されたおしゃれな旅のスタイルというか。カントリー風の服装にブランド物のバック持って、サンダル履いてっていう。いま考えると私も自分に似合わないことしていたなぁって思うけど(笑)、前の北海道旅行はそんな感じの旅だったから、ヨーロッパから帰って北海道に行って礼文島に渡ったとき、いままでの旅はなんだったんだろう…ガーン!って。私の旅が180度変わるわけ。そこからですね、人生が狂ったのは。あはは!

 

一期一会の輪が広がる談話室

 

ー礼文島で一体何があったんですか?

 

久保田

フェリー埠頭に迎えに来ていた民宿の人から「稚内にこのまま帰ってください」っていきなり言われたの。なんだろうと思ったら「そんな格好で礼文島は歩けない」って。ぽっくり(厚底サンダル)履いて、ボストンバック下げていたから、そりゃそうよ!

 

ー確かにあの島にぽっくりでは…あまり楽しめませんね。

 

久保田

まぁ半分冗談だったから、そのまま宿に移動して礼文島のことを教えてもらい、翌日靴とリュックを貸してもらって島のトレッキングコース「愛とロマンの8時間コース」を歩いて。その後4、5泊したんじゃないかな。そうしたら、もう「私はここに住む人間だ」と思っちゃった。

 

ーどうしてそんな風に思ってしまったんですかね。

 

久保田

なんでだろうね。旅先でそう思うことは以前にもあったんだけど。「松江に住む!」って騒いだ事もあったし。思い込みが激しいところはあったのかな(笑)。

 

ーはは。

 

久保田

でも、それまでとはあまりにも思いの大きさが違ったというか。礼文島に行ったのが9月はじめだったんだけど、千葉に帰ったらもう北海道に行くことばかり考えていて。すぐに派遣の仕事でお金を貯めて、2月にはまた北海道に行ったんですよ。それからは派遣で3か月とか6か月とかの単位で働いて、仕事が終わったら北海道に飛んで行っての繰り返し。

 

ー派遣で働いては北海道に行く、という生活を何年くらいしていたんですか?

 

久保田

4年くらいかな。当時は時代がよかったから、いくらでも仕事はあって選び放題。いまの派遣とは感覚が全然違います。

 

ーお給料もよかったんじゃないですか?

 

久保田

そう! 当時で時給1500円でしたよ。

 

ーじゃあ3か月も働けば、旅費は十分ですね。

 

久保田

実家暮らしでお金は全然かからないし。親には怒られながらだったけど(笑)。

 

ー当時はどんなところに泊まっていたんですか?

 

久保田

ユースホステルによく泊まっていたけど、特に紋別のユースではいろんな人と知り合いになって、旅のしかたを教えてもらいましたね。旅のことをどんどん吸収して、スポンジみたいでしたよ。

 

バイクで旅した小樽でのOL時代から
第3の人生、宿開業へ

 

ー派遣と旅の生活は移住でピリオドを打つわけですね。

 

久保田

1985年に小樽に移住したんです。

 

ー移住先を小樽にしたのはどうしてですか?

 

久保田

ヨーロッパ旅行で知り合った友達がいたから。彼女がアパートを探して家財道具もそろえてくれて、自分はリュックひとつで来たんです。

 

ーそのときは宿を運営するというのは考えてなかったんですか?

 

久保田

全く。経理の資格があったからどこでも仕事はできるな、と思って。4年間派遣でいろいろな会社に行っていたからスキルも上がって自信もついたし。幸い仕事もすぐに見つかって、結局16年くらいOLやっていましたね。

 

ー小樽でもOLをしていたんですね! 当時も旅はしていたんですか?

 

久保田

国鉄がJRになってだんだん路線が減ってきたので、交通手段確保のためにバイクの免許を取ってあちこちまわっていました。

 

女性用の相部屋。自身もシーズンオフには国内を旅行し、宿泊者目線で宿を見直しているそう

 

ーバイク乗りの時代があったんですね!

 
久保田

 

もう免許は返納したけど。

 

ー免許は問題なく取れたんですか?

 

久保田

教習所から朝6:30に来てくださいって言われた…。みんなの迷惑になるからって。

 

ーそれはどういう…。

 

久保田

全然うまく乗れなくて、教習所の柵を越えて一般道に出ちゃったりしたのよ。あはは。

 

ー…免許を与えてはいけないレベルですね。

 

久保田

バイクを買うなって言われた(笑)。でもね、小型の免許を取って1年乗ったらメキメキ腕が上がって。稚内に行きたかったので、翌年中型の免許を取りに行ったら、あまりにも違うので教官が驚いていましたよ。

 

ーホッとしました(笑)。小樽のOL時代は中型バイクで旅を楽しんでいたわけですね。

 

久保田

そうこうしているうちに、勤めていた会社が廃業することになって。「さて、どうする…宿でもやるか!」となったわけ。

 

ーはは。

 

久保田

まわりからは「世界一のんきな失業者」とか言われて。よく泊まっていたとほ宿のオーナーも「会社がなくなったから宿やるなんて前代未聞だぞ」って。でも「小樽ならできるよ」って言われた。飲食店がたくさんあるから夕飯は用意しなくていいし。失業保険と退職金も出たから、そのお金でここを買ってね。

 

食事は朝食のみ。道産米と小樽の魚で一日のエネルギーをチャージ

 

ーまた勤めるっていうことは考えなかったんですか?

 

久保田

うーん、勤めていた会社のほうで次の会社を探してくれるって言ってくれたんだけど、札幌だったし。すでに立派なお局だったからね。このままみんなにおっかないお局と思われて人生終わるかって考えて…。

 

ー「おっかない」お局だったんですか?

 

久保田

おっかなかったんだって!(笑) 私がトイレに行こうと、ちょっといすを引くだけでみんな「ビクッ」としたとか、いまだに言われるんだけど。ほかの人の仕事をチェックする立場にいて、注意もしなきゃいけなかったからね。

 

ーほかの選択肢として「実家に帰る」もあったと思うんですが。

 

久保田

それはない!

 

ー即答(笑)! じゃあ北海道には居続けよう、と。

 

久保田

そう。でも宿をやることを一番応援してくれたのが父親でした。北海道にハマりだしたころは反対していたけど、小樽に住んで1年目に親を招待したら、特に父が北海道を大好きになって毎年来るようになったんです。よく行っていたとほ宿にも連れて行ったんですよ。当時はぼろぼろの建物だったので、父親は「ひどい旅をしているね〜」と言いながらも楽しさをわかってくれたみたい。こうして徐々に親を洗脳して(笑)。宿を開業するときは資金面でも援助してくれたんです。それがなかったら宿はできなかったかも。

 

ー物件は前から目をつけていたんですか?

 

久保田

2000年9月の会社廃業後から約2か月で物件を見つけて。本格的な冬の前にはリフォームも済ませてましたね。最初は運河のほうを探したけど、結局予算が合うのがいまの場所しかなくて。

 

ーすごいスピードで進みましたね。

 

久保田

2001年の6月には知り合いを集めてプレオープン。来てくれたのはほとんどが旅仲間だったけど、東京のリサイクルショップで買ったベッドとかテーブルを運んできてくれてね。ふだんはぞんざいに扱っているけど(笑)、足を向けては眠れません! 

 

ー経理の経験は宿の経営に生きていますか?

 

久保田

全然! あはは。私いい加減だから(笑)。最初は、初期投資分を回収するために5年間はがんばろうと思っていたけど、もう17年。小樽に来てからは33年だけど、いやなことがひとつもないんです。失敗を感じないのかな。失敗ばかりしているからかな(笑)。

 

古巣のサッカーチームが北海道へ!
誘致活動からの生え抜きサポーター

 

ーいちえと言えば、北海道コンサドーレ札幌(以下コンサ)ですよね! 宿泊客もコンサが勝った日はビールを1本サービスしてもらえますし。いつからサッカーが好きなんですか?

 

2階にはコンサグッズをはじめ、Jリーグ各チームのタオルマフラーが飾られている

 

久保田

サッカーに限らず、野球、バスケット…スポーツ大好き姉ちゃんだったの。東京で働いていたときは会社にいくつかスポーツのチームがあって、都市対抗野球を見に行ったりもしていましたよ。でも小樽に住みはじめたころは北海道にはプロスポーツチームがなかったんです。

 

ーそうですよね。Jリーグがはじまってからは、どこを応援していたんですか? 

 

久保田

清水エスパルス。

 

ー久保田さんがコンサ以外を応援しているようすは、ちょっと想像しづらいですね・・・。

 

久保田

1994年ころになると、札幌にプロのスポーツチームをつくりたいという話が出はじめて、東芝のサッカーチームを誘致しているらしいという噂を耳にしたんです。

 

ーすごい偶然ですね!

 

久保田

元の同僚に確認したら本当だってわかって。それで署名活動をしたりして誘致のお手伝いをしていたんです。

 

ーその活動が実ったわけですね。

 

久保田

1996年に北海道のプロスポーツチーム第一号として「コンサドーレ札幌」が誕生。

 

ー宿には選手と写っている写真もありますね。

 

久保田

練習場にも応援に行っていますよ。昔は栗山町で遠かったけど、いまは札幌の宮の沢白い恋人サッカー場になって、ずっと行きやすくなりました。

 

サポーターとして新聞で紹介されたことも

 

ーコンサの魅力ってどんなところなんですか?

 

久保田

「身の丈にあったサッカー」というところかな。資本金も十分ではないし、J1に上がってはJ2に落ちるという、苦しい思いもいっぱいしているし。前季と今季は連続でJ1に留まっていますが、J1に残留できたのは16年ぶり、2回目なんです。今季はあと数試合で3シーズン連続J1が決まります! 地道にみんなで育てるチームという感じですね。

 

ーサポーターの応援が大事ですね。

 

久保田

負けたときにどうサポートするかっていうことが応援だと思うの。ことしの私の応援キャッチフレーズは「応援は根『情』だ」。根っこに愛情があってこそ。負けたらもうだめだ、みたいな人がいるけど、負けたって愛情は注ぐよ、と。宿のシーズンオフには基本的にコンサのアウェイでの試合の応援に絡めて、日本を旅行しています。

 

ー2018FIFAワールドカップ ロシアには、残念ながらコンサの選手は出ていませんでしたが、もし今後出るようなことがあったら盛り上がりますね。

 

久保田

その前にまずアジアですね。アジアのクラブチームナンバーワンを決定する「AFCチャンピオンズリーグ」にコンサが出るようなことになったら宿はお休みするかも(笑)。

2018.9.4
文・市村雅代

 

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〒047−0046 
小樽市赤岩1−1−19 
TEL 0134-33-6481

次回(9/18予定)は「こっつぁんち」古藤均さんです

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