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とほ宿めぐり

旅人宿 ゆう

「ネットがない時代だったので
直接聞く旅の話が心に響いた」

旅人宿 ゆう

岡本 淳さん 福岡県生まれ、神奈川県育ち。小さい頃から車好きで、小学生の時にはすれ違う車の名前を全部言えたほど。冒険家の植村直己氏が日本を徒歩で縦断したという話に刺激を受け、稚内から横浜まで徒歩で帰ろうと考えたが「同じことを考えている人が多くて」浜頓別まで旧天北線上を歩く2泊3日の行程に変更。「3日で足の裏がボロボロになるっていうのは本当でした」。道内旅行中にヒッチハイクも覚え、海外を旅行中にも移動手段として使っていた。1992年宿開業。呼び名は「隊長」。

北海道旅行で、これまで知らなかった旅人宿のスタッフ・宿主の世界を知り、いつか自分もと思いはじめる。勤め先を2年で辞め、いよいよその世界へ。カナダでのワーキングホリデーを挟み、宿で知り合った妻、美佳さんを誘い道内最高峰、旭岳の麓の東川町で開業した。開業年から米農家の手伝いに行っており、宿のお米はすべて自ら田植え、稲刈りに携わった東川町産。⼣⾷で「ゆめぴりか」をはじめとするブランド米の⽩⽶、七分づき、⽞⽶などを日替わりで食べられる。

旅人宿で「無職」の人の多さに驚愕

次第に宿業に興味を抱くように

 

―東川町には数年前からカフェや個性的なお店が増えて、岡本さんたちが暮らしはじめた頃とはだいぶ様子が変わったんじゃないですか?

 

岡本

そうですね。今では雑誌の特集で富良野、美瑛に並んで東川っていう字が入っているくらいだけど、自分たちの好きな場所に住みたかっただけで、こんなに有名になるとは思ってなかったから。

 

―穴場を掘り当てましたね! 宿をはじめるきっかけはなんだったんですか?

 

岡本

「やってみたかったから」なんですけどね(笑)。

 

―はは。

 

岡本

元々旅行好きではなかったんです。専門学校1年目の時に自分が生まれた福岡に行ってみて。それで2年目は友達と北海道に行こうかって。しかも目的は、4輪車でダート(未舗装の道)を走ることでした。道内の3桁の国道は砂利道っていう時代。地図を見て「林道」ってあったら行ってみたりしてました。

 

―この時はどのくらい滞在したんですか?

 

岡本

お金が尽きるまでだったから3週間くらいかな。2人で10万円ずつ貯めて来たんです。車中泊が基本だったんですけど、最後のほうはユースホステルとか後にとほ宿になるような宿に泊まってました。楽しかったんですけど、あまりの無職の人の多さにびっくりしたんです。そんな人に出会ったことなかったので。スタッフは「いや、給料ないんですよ。居候です」とかって言ってるし。宿をやってみたいっていう人が多かったですね。その時は「そういう人がいるんだ」っていう感じでしたけど、2回、3回と北海道に来るうちに…。

 

―2回目はいつだったんですか?

 

岡本

それから2年後ですね。僕はもう就職していたんですけど「そのうち無職になってのんびり来たいな」って思っていました。宿の手伝いとか、宿をやってみたいなっていうのもなんとなくあったし、ニンジン加工場や冬はスキー場でのアルバイトがあるというのも聞いて。

 

和風チキンカツなど家庭料理が並ぶ夕食。みそ汁の味噌は自家製

 

―「無職」の人たちがどうやってお金を得ているかわかったわけですね。でもこのとき、勤めはじめて1、2年ですよね。

 

岡本

そうですね。就職してすぐに2、3年で辞めますって言ったら職場のみんなにびっくりされましたけど。

 

―びっくりしますよ(笑)!

 

岡本

何で就職したのよっていう人もいたけど、かわいがってくれた人もいて。自動車の整備士だったんですけど、早く辞めるつもりだからいろいろ覚えたいって言ったら、新人のうちから仕事を任せてくれる先輩もいてすごく感謝しています。

 

―それで宣言どおり辞めちゃったんですか?

 

岡本

そうですね。働いたのは丸2年。…たかだか2年しか働いてないんですね(笑)。

 

―で、北海道に来たんですか?

 

岡本

来たんですけど…会社の先輩が僕の話を聞いて、そんな生活があるのか!って、同じように会社を辞めて一緒に北海道に来ちゃったんです。

 

―えー! 会社的には一度に2人も辞めちゃって痛手じゃないですか。

 

岡本

そうですよね、ははは。先輩は初北海道だったので、1か月ほど一緒に道内をまわって。その後僕はとほ宿のニセコアンビシャスのスタッフに。この時に山をちょびっと歩きはじめたんです。目の前に凛々しく立っている羊蹄山にも登れるよって言われて。ニセコアンビシャスでは山のツアーもやってますからね。「隊長」という呼び名はここでついたんです。ツアーに行くときの隊長ってことで…。

 

―そうでしたか! 

 

岡本

アンビシャスには結局冬の終わりまでいて、その後ちょこちょこアルバイトをして6月の1か月は礼文島にいました。

 

―旅をしていたんですか?

 

岡本

1か月いたっていうのは利尻山に登るため。その天気待ちだったんです。キャンプ場にいつつ、とほ宿の星観荘に行ったり。漁師だった彦さん(星観荘宿主の新山彦司さん)のお父さんにはお世話になりました。エビ漁を手伝わせてくれたり、「飯食いに来い」ってキャンプ場まで呼びに来てくれたり。

 

ー天気待ちとは言え、いい時間ですね。

 

岡本

ようやく晴れたので礼文島から利尻島に渡って、キャンプ場に荷物を置いて行くためにテントを張ろうとしてたら、近くにいた人から「そんな荷物ならそのまま登れるべ」って言われて。そんな荷物って言っても、僕捨てられない男なんで、冬を越しちゃった荷物全部持って移動してたんです。30キロくらいあったんじゃないかな。ザックの上にザックをつけたままの状態で登りました。

 

旅人を表現した「ゆう」のアイコン。当初、寝袋の下に敷くマットをザックに乗せたデザインだったが、「子どもをおんぶしているように見える」と指摘され、今のデザインに

 

―あはは。登山に必要のないものもあったんですね?

 

岡本

いっぱいありましたよ。山小屋で「何泊するんですか?」って聞かれて1泊だって言ったら驚かれました。

 

―はは。そうやってだんだん山登りを覚えて行ったんですね。

 

岡本

利尻山は結局3回登りましたね。その後友達と大雪山を歩く約束していたので、会社の先輩と道内をまわっていた時によく泊まっていた上川町の宿に行ったんです。そこで「お前暇だろ」って言われてスタッフとして働くことになったんです。

 

―捕まっちゃいましたね。

 

岡本

その宿には、自分で宿をやってみたいっていうスタッフがいたんで、その人と一緒に会計をやったり、お客さんを仕切ったりさせてもらいました。

 

―宿開業へ一歩前進、のような。どのあたりで宿をやるって気持ちが固まってきたんですか?

 

岡本

その宿を手伝っている時ですかね。大雪山いいなと思いはじめたっていうのがあります。花の時期とか紅葉の時期とか本当にきれいで。

 

―宿業のどの辺が魅力だったんでしょうか。

 

岡本

宿の中でみんなとしゃべったりするのが楽しかったからかな。当時1週間くらい連泊するっていう人はザラだったので仲良くなったし。ネットがない時代だから余計に人から聞く旅先の話が心に響いたのかもしれない。仲良くなった人とは手紙を送ったり、写真を送ったりした時代だから。

 

宿泊客からの写真やメッセージが保管され、開業当時からの思い出が詰まった談話室。テーブル席にしている時期もある

 

―人を通じて知る情報が今より多く、濃い時代だったのかな。

 

岡本

その宿で、ワーキングホリデーでカナダに行ってきたっていうお客さんに会ったんです。25歳までだったら行けるよって言われて。僕その時23歳だったんですよね。で、それもちょっとおもしろそうだなと思って10月くらいまで宿で働いた後、バイトをしてお金を貯めて、翌年の6月からカナダにワーキングホリデーに行ったんです。

 

―この時もまだ「宿開業」という考えは持ちつつだったんですか?

 

岡本

そうですね。でもやってみたい順。優先順位でね、行っちゃえって。

 

―カナダではどんなことをしていたんですか?

 

岡本

果樹園のフルーツピッカー(果物の収穫作業員)です。出来高制の。最初はバンクーバーに着いたんですけど、日本人が働いている場所といったら和食レストランとかお土産物屋さん。それだったら日本でバイトして旅行で来た方がいいやと思って。カナディアンロッキーに移ってテント生活していたんです。そうしたらそこで会った人が植林とか農作業だったら言葉が必要ないからいいんじゃないかって教えてくれて。僕の英語力って、例えば宿に泊まるんでも、電話での予約は自信がなくて直接現地を訪ねていかないとダメなくらいだったんです。だから農作業いいなと漠然と思いながらどんどん東に向かっていって、最終的にはプリンスエドワード島まで行きました。

 

―カナダを西のバンクーバーから東の島まで移動したんですね!

 

岡本

でも島に着いた時には所持金が200ドル(当時のレートで16000円程度)を切っていて…。

 

―えー!

 

岡本

帰りの飛行機はバンクーバーからだったんですけど、これじゃあバンクーバーに戻れないなと思って。農協みたいなところに行ったら仕事を紹介してくれたんです。給料は安かったかもしれないけど、いろんな国の人がいておもしろかったですよ。ドイツ人、韓国人…そんな人たちと毎晩トランプしたりして。

 

―お金に換えられない経験ですね。

 

岡本

その後は、ナイヤガラの滝で知り合った日本人から、2か月分の期間があまっているアメリカ東海岸のレールパスをもらってアメリカへ。

 

―カナダでのワーキングホリデーのはずが…(笑)。

 

岡本

ニューヨークに行ったらライブがおもしろくて。それでどんどんお金がなくなって。同じ安宿にいたイラン人とイギリス人と一緒に引っ越し屋のバイトをしてました。最後に3人でヘリコプターで自由の女神を見に行ったのはいい思い出です。

 

元ヘルパー仲間の妻を誘い

「できる範囲で」宿を開業

 

―ワーキングホリデーの約1年間、めちゃくちゃ満喫しましたね~。

 

岡本

で、帰国したら、上川の宿から「まだ暇だろ?」って連絡が来ちゃったんです。

 

―あはは。確か美佳さんと知り合われたのはその宿ではなかったですか?

 

岡本

最初にその宿でスタッフをしていた時にお客として…30連泊された方だったんです。10日~2週間って人はザラにいたけど30連泊は珍しかった。

 

―30! その間何をしていたんですか?

 

美佳

紅葉の時期だったんで、今日はこっち、明日はあっちっていう感じであちこちに見に行っていました。

 

―そんなに連泊できたということは、当時学生さんだったんですか?

 

美佳

いや、無職。翻訳家になろうと思って勉強しながらバイト生活をしていたんです。

 

―その当時からおつきあいしていたんですか?

 

岡本・美佳

いや、全然。

 

美佳

その後私がその宿のスタッフになって。シーズンになると働きに来て、シーズンオフは大阪でバイトしてって。2年くらい働いたんですけど、その2年目に一緒に働いていました。

 

―岡本さんがカナダから帰ってきた時ですね。美佳さんは当時、宿をやりたいと思っていたんですか?

 

美佳

自分でやることは考えていなかったんですけど、宿主家族を見ていて、家族がずっと一緒にいられる仕事はいいなぁ、こういう暮らし方はいいなぁっていうのはありましたね。

 

―「仕事」として見てみると確かにそうですね。

 

岡本

その宿主に「お前、宿はやらんのか」って言われて。宿をやりたいという話はしていたんですけど、やりたいならやればいいじゃんっていうタイプの方だったんですよ。できる範囲でやればいいんだよって。

 

―できる範囲で、か。

 

美佳さんが長女の友(ゆう)さん妊娠中の開業1年目のころの写真。岡本さんの第一印象は「スポーツマン!って感じでしたね。角刈りで短パンはいて」。「はったん」は旧姓由来の美佳さんの呼び名

 

岡本

やり方はいくらでもあるだろう、的な感じで。新築の宿がまだ珍しい時代だったし。それで、僕も空き家を探して宿をはじめてみようと思ったんです。

 

―いよいよですね!

 

岡本

で、冬にまたその宿で働きつついろんな場所を探してみようかってことになって。その時ははったん(美佳さん)も一緒に来た。

 

―ということはその時はお付き合いしていたんですか?

 

岡本

というか、うちらお付き合い期間ないからね。一緒に宿をやらないか、やってくれって僕が誘ったんですよ。

 

―それで美佳さんは…。

 

美佳

やりましょうって(笑)。

 

―はは、すごい! この場所にしたのはどうしてなんですか?

 

岡本

東川は上川から見たら大雪山を挟んで反対側。あまり来たことがなかったので来てみたんです。そうしたら晴れた日で大雪山の山並みがきれいに見えて。「なんかこの町良さそう」って思ったのがきっかけ。

 

―この物件はどうやって見つけたんですか?

 

岡本

当時は役場に移住促進課なんてものはありませんから誰に聞いたらいいのかわからなくて。農協に行ったんです。

 

―農協!

 

岡本

最初は宿のことは話さず、家を探しているって相談したんですけど、「おもしろい人が来た!」って思ってくれる人がたまたま窓口になってくれて。2時間後に有線放送をかけて、空き家がないかどうか聞いてあげるって。

 

―なんかすごいことになりましたね。

 

岡本

ほんとめぐりあわせですよね。そうしたら7、8軒見つかって、そのうちの1軒がここ。でも、ここは町の中心街からは外れてるし、古いし、大きすぎるから新婚さんが住むには向かない、やめたほうがいいって言われたんです。それで正直に言うしかないと思って「実は宿をやってみたいんです」って言ったら「こんなとこお客がくるわけない。やめとけ」って。でも宿をやりたい気持ちが強かったんで、とりあえずやってみたいんです、って話して家の持ち主に紹介をお願いしたんです。その後もすごく応援してくれました。宿をはじめてからは「へぇ、お客が来るようになるんだな」って驚いてましたけどね(笑)。

 

―「こんなところにお客が来るはずない」と言われて、ご自身はどう思ったんですか?

 

岡本

どうですかね…。当時行ってた宿も便利な場所にあるわけじゃなかったから。なんとかなるんじゃないかなと。あと、ほかに見せてもらった物件が宿に使えそうな感じではなくて。この町に決めたきっかけは山並みがきれいに見えることだったので、もっと街中で山がきれいに見える所だったらよかったんですけどね。でもあれこれ悩んでも、ね。ほかにいい場所が見つかったら移ればいいし、くらいな感じで。

 

―軽やかですね!

 

岡本

そのままいて27年経っちゃいましたけど(笑)。

 

―場所は大雪山のまわりがよかったんですか?

 

岡本

そうですね。でも当時美瑛、富良野はブームで次から次へと宿が建っている時代。ちょっと自分たちは違う感じがしていました。

 

美佳

東川しか見てないもんね。旭岳の登山口があるからって。お客さんも上川の宿から山を越えて行き来できるし。

 

岡本

実際そういう企画もやりました。

 

―ただ、お話を伺っていると、あまり手持ちのお金はなかったような…。

 

岡本

旅先から帰るたびに温かく迎えて働かせてくれる会社が横浜にあって。そこでお世話になりました。バブル期だったので給料もよかったし。でもまぁお金はなかったですね。親戚からいただいた結婚祝いもね、全部開業の資金に。

 

美佳

食器はGWに横浜に帰った時に、余っている物ないですかって知り合いに呼び掛けて、寄せ集めではじめました。

 

―それで開業が7月2日。できちゃうもんですね。おいくつだったんですか?

 

岡本

26歳。

 

―若くして開業しましたね! こういう宿にしたい、と思い描いていたものはありますか?

 

岡本

…「宿をやりたい」っていう気持ちが勝っていて、その場その場で楽しそうなことをしようって感じだったと思います。まぁお客さんと楽しい関わりができたらいいかなとは思いますね。

 

美佳

長い人だと何十年と泊まりに来てくれていて。それがありがたいです。

 

登山道整備や農作業。

地域のお手伝いをコツコツと

 

―旭岳と言えば、岡本さんは登山道の整備にも関わっていらっしゃいますよね。

 

岡本

長年使っているうちに、道幅が広くなったり踏み跡が穴のようになっている所があるし、木道は朽ちていくし、これは何とかしなければとみんな思っていたんですよね。それで少しずつでも直せないかと行動を起こした方から誘われて、参加するようになりました。

 

―それは何年前くらいの話ですか?

 

岡本

本格的にやりだしたのは6年くらい前かな。でも、整備をはじめると登山道がかわいくなってしまってね。直した所が以前より良くなっているのを確認しにまた行っちゃったり。直すべきところが見えてしまったり。

 

―岡本さんは山のガイドもしていましたよね。

 

岡本

宿をはじめた頃は、まだアルバイトをしないと生活できないというのがあったんですけど、ちょうど百名山ブームで。大手旅行会社も現地ガイド付きツアーをたくさん組んでいたんです。とにかくガイドの数が足りない状態だったので。

 

―宿のツアーとしては?

 

岡本

やったことないですね。でもいい時期は僕も登りたいので一緒に行くっていう感じ。ツアーっぽくはなってしまうけど、誘い合わせてってことかな。

 

―岡本さんが農家さんに田植え、稲刈りのお手伝いに行っていることもあって、宿では北海道の米どころ、東川町産のお米を食べられますよね。

 

「ゆめぴりか」のほか、「ななつぼし」や「きたくりん」といったお米の銘柄が並ぶことも。ぜひ食べ比べてみて

 

岡本

農協で空き家を聞いたことがきっかけでね。GWに東川に引っ越して来たんですど、農協の方から「開業の準備もあるだろうけど、ここはお米の町だから一度は田植えをしてみなさい」って言われて。

 

―町のことを知るにはいい機会ですよね。

 

岡本

最初は苗を軽トラックで運ぶ仕事をしていたんです。でも機械好きなんで…動くものはどうなっているんだろうって気になっちゃうんですよね。それで最終日に我慢できなくなって休憩時間に「田植え機を運転してみたい」って言ってみたんです。そしたら「おお、いいぞ。乗れ乗れ」って。

 

―あはは。植えてみたんですか?

 

岡本

はい。それで来年乗るなら買ってやるぞって言われて。

 

―えぇ!?

 

岡本

買われちゃった。

 

―あはは。じゃあもう行かなきゃダメじゃないですか。

 

岡本

それから28年、手伝いに行ってます。ちょっと「かじりたがり」なんですよ。深くは極めない。昨日も誘われて養蜂の手伝いに行ってきたんです。ハチの巣からはちみつを取ってその場で食べさせてもらいました!

 

―いいなぁ。

 

岡本

これでお客さんに「養蜂知らないの?」って言える。

 

―広く浅く、大事です(笑)!

 

岡本

バイクが壊れちゃったんで、はじめて自分で整備してみたり…。

 

―自動車の整備とは違うんですか?

 

岡本

バイクの方が簡単だってみんなは言うんだけどね。冬は大型車専門のタイヤ交換をする店にお手伝いに行ったり。最初は興味津々だったけど、だんだん忙しくて抜けられなくなってきた(笑)。

 

―はは。

 

岡本

あと、ボルダリングね。旭川にできるところがあって。ほら東京五輪ではオリンピック競技にもなってるから「あれ大変なんだよ」って言えるでしょ(笑)。次はリュージュをやってみたいんです。

 

―はは。美佳さんもかじるほうですか?

 

岡本

いや、はったんは勉強好き。うちの知恵袋としてね、いつも勉強してます。

 

子育ても落ち着き、近年は2人で北海道の旅を再開。旅人時代に美佳さんが行けていなかった島を中心にまわっているそう

 

―今は何の勉強をしているんですか?

 

美佳

スペイン語です。大学時代スペイン語を勉強していたので。

 

―今も勉強し続けているんですか?

 

美佳

忘れちゃうので。

 

岡本

語学オタク。漢字検定も1級だし。

 

―すごい!

 

岡本

知らないことがあったら調べるタイプ。五十肩になったらどうやって自分で治せるか調べたり。

 

美佳

はは。そうだね。

 

岡本

あと拳法使いだから!

 

―え?

 

美佳

太極拳です。産後の運動不足を解消するためにはじめたんです。

 

岡本

今は町で教えてる。

 

―極めるタイプですね!

 

岡本

あとボウリングな。

 

美佳

知り合いと一緒に20ゲームとかやっちゃいます。

 

―20…親指の感覚なくなりませんか?

 

美佳

最初、体に力が入っている頃はそうなりましたけど、今は全然大丈夫です。

 

岡本

アベレージ150くらいだもんな。200くらい出すときもあるし。

 

―そんな勉強好き、こだわり派の美佳さんですが、宿をはじめる時、「宿業とは」「東川町とは」っていう調査はしなかったんですか?

 

美佳

そういうのは全然調べなかったね。町内の全戸が地下水で暮らしていることも知らなくて。来てみて、よかったねって(笑)。

 

―はは。そこは勢いで来たんですね(笑)。でもダメだったらよそに移ればいいやと思ってはじめて、28年同じ場所でやってこれたってすごいですよね。

 

岡本

すごいと思います!

 

―あはは。

 

美佳

開業して6年超えた時にね。

 

岡本

人生で一番続いた小学校を超えたって。就職先も2年で辞めちゃったし。

 

―宿業が合ってたんですかね。

 

岡本

そうですね。宿主と農家の手伝いもあって。

 

美佳

いい具合にね。

 

岡本

いいリフレッシュになっているんだと思います。

 

2019.9.17
文・市村雅代

旅人宿 ゆう

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〒071-1465
上川郡東川町東7号北32
TEL 0166-82-3910

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