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とほ宿めぐり

大草原の小さな宿 こもれび

「有名な観光地の代わりに
自分ができるサービスで勝負」

大草原の小さな宿 こもれび

川勝恒良さん 京都府出身。青春時代を車と共に過ごす。家族は旅好きで、両親からユースホステルの存在を、バイク乗りの兄からは北海道のすばらしさを教えてもらった。2005年宿開業。宿のお米は実家で作ったもの。低農薬で父親が乾燥方法などにこだわって育てたコシヒカリを、炊く直前に精米して使用している。

初ひとり旅は23歳。それまでは車の競技に熱中していたが、兄に勧められて訪れた北海道でこれまでの人生では出会わなかったタイプの人々と出会い、北海道への移住を考えるようになる。接客業への興味も持ちはじめた時期だったため、宿の開業を決意。移住後に3700坪の土地付き家屋を手に入れ、自身でコツコツ改装を続けてきた。最もこだわっているのは食事。連泊者も飽きさせないようにとメニュー数も豊富。

初ひとり旅で北海道移住を考えはじめ

車の競技生活に区切り

 

―まさに「こもれび」な宿ですね! 名前はこの場所で宿をやることが決まってから考えたんですか?

 

川勝

そうですね、この場所を見て。

 

「こもれび」感を味わえる自作のテラス。薪の量は通常もう少し少なめで、庭の木々がよく見える

 

―ご出身は京都でしたよね。

 

川勝

そうです。

 

―以前は何をされていたんですか?

 

川勝

専門学校を卒業してから半導体メーカーに2年ほど勤めて、その後元々車が好きだったこともあり大型免許を取ってダンプカーに半年ほど乗っていました。でも季節によって仕事の量の変動が激しくて。それで京都の貴船というところにある料亭で送迎バスの運転手をはじめたんです。

 

―貴船というと川の上に造った座敷で料理を楽しめる川床で有名ですね。

 

川勝

そうです。そういう料亭で働いていました。最初は繁忙期だけの予定だったんですが、翌年からは通年来てくれということになって。接客その他、厨房以外の作業すべてを担当するようになりました。最初の繁忙期が終わった後で少し時間ができたので、はじめてひとりで北海道に行ったんです。北海道は高校の修学旅行で行ったことがあったんですが、23歳ではじめてのひとり旅(笑)。

 

―そうだったんですね!

 

川勝

宿主の中では異例ですよね(笑)。若い頃は車にのめりこんで、旅は全然していなかったんです。今も車は好きなんですが、当時はジムカーナという1台ずつ走ってタイムを競う競技にお金と時間のすべてを使っていました。F1ドライバーになろうと思っていたこともあるんです。

 

―えー!

 

川勝

「思っていた」こともあったんです(笑)。当時一大F1ブームで、アイルトン・セナが大活躍。その影響を受けて。

 

―80年代後半~90年代前半はF1がかなり人気ありましたよね。

 

川勝

車は子どもの頃から好きで、早く大人になりたくてしょうがなかったですね。車を運転するために。

 

ーバイクの免許は取ったんですか?

 

川勝

はい。バイクに乗っていたこともありましたけど、車の免許を取ってからは車ばっかり。高校卒業後はレースのメカニックを養成する専門学校に通っていたんです。その後は契約社員として働きながら車の大会に出ていました。でもだんだん現実と夢とのギャップが大きくなってきて。気持ち的にはプロを目指していたけど、今ほど行動力がなかったっていうのもあります。宿をはじめたころの行動力があればプロになれたかも…(笑)。ちょうどそういう時にひとりで北海道に行ったんです。

 

ジムカーナのタイムアタック中の川勝さん。相棒はホンダシティ。車検を通せる程度の改造を加え戦っていた

 

―行先として北海道を選んだのはなぜなんですか?

 

川勝

2つ上の兄が大学時代からずっとバイクで北海道にツーリングに行っていて、毎年写真を見せてもらったり話を聞いていたんです。それでいつか行きたいなと思っていたんですよね。

 

―どうでしたか、ひとりでの北海道は。

 

川勝

自分が今まで知らなかった世界がすごく楽しくて。とほ宿では自分が全然知らなかったような…仕事を辞めて旅している人とかに会って。「そういうのありなんや!」って(笑)。

 

―今まで知らなかった生き方があるんだって。

 

川勝

そういう旅する人との出会いと、北海道の気候や風土に魅力も感じて、住みたいなと思ったんです。

 

―はじめての北海道ひとり旅でそう思っちゃったんですね。

 

川勝

それまでは車とレースの世界しか知らなかったから…。ただこの時はまだジムカーナで優勝したことがなかったんです。だから1回表彰台の中央に立ちたいと思って。それで次の年、99年に優勝してから競技をやめました。

 

―きちんと自分なりのけじめをつけて、競技人生を終えたんですね。

 

川勝

はい。で2000年にはもう移住を決めていましたね。貴船のお店は忙しかったけれど給料はよかったので、そこで移住資金を稼ごう、と。その時にはまだ北海道で再就職して暮らそうと思っていたので、仕事が決まるまでの生活費とか移動費として、でしたけど。

 

―そのうちに宿、という選択肢が出てきたんですね。

 

川勝

貴船の料亭で働いているうちに接客業もおもしろいな、と思いはじめて。北海道でとほ宿とかユースホステルに泊まるようになったので、どうせ北海道に住むならそういう宿をやってみたいと思うようになったんです。特にとほ宿は宿主さんがみんな楽しそうでいいなぁと思いましたね。

 

―とほ宿はよく利用していたんですか?

 

川勝

北海道をまわっている時にたまたま泊まって、とほ宿を知ってからはとほ宿ばっかりに泊まるようになりました。

 

初ひとり旅で北海道を訪れた時の写真。このジムニーは20歳から宿開業後まで12年乗っていた。その後兄からもらった別のジムニーにエンジンを乗せ替えて今も乗り続けている

 

―開業年にとほネットワークに入られてますよね。

 

川勝

宿をやるならとほ宿、と最初から思っていました。泊まって楽しかったっていうのが大きかったです。情報交換もできたし、ユースよりもとほ宿のほうがほかのお客さんや宿主との距離が近く感じたし。

 

―貴船の料亭ととほ宿の接客はだいぶ違うと思いますが…(笑)。

 

川勝

全然違いますけど(笑)、お客さんに喜んでもらうのは一緒。「ありがとうございました、また来ます」って言ってもらえるとやっぱりうれしい。昔は人と話すのが苦手だったので、20歳そこそこの自分からしたら今の自分は考えられないと思います。

 

3700坪の土地付き家屋を

自身でコツコツ改装

 

ー最初から宿は十勝でやろうと思っていたんですか?

 

川勝

はい。僕がイメージしていた北海道は牧草地が広がってて、遠くに山脈が見えて…っていうもの。そういう景色が十勝にあったのと、冬に来た時の青空の印象がすごく強くて。住むならここかな、と。

 

―どのあたりで探していたんですか?

 

川勝

帯広からそれほど遠くなくて、でもまわりが牧草地や畑のところでと思って、音更、中札内、鹿追、清水あたりかなと漠然と思っていました。2003年の4月に北海道に移住してきて、最初は芽室町や士幌町に住みながら職業訓練校の造形デザイン科(木工)に2年通ったんです。

 

リビングのテーブルは訓練校時代の作品。父親が日曜大工好きで、小学生のころから道具を使わせてもらってちょっとした棚などは自分で作っていた

 

ー移住してきて、最初は学校に通っていたんですね。

 

川勝

すぐには宿の物件も見つからないだろうし、知り合いもいない場所だからすぐの開業は難しいだろうと思って。訓練校を卒業したら働きながら物件を探そうと思っていたんです。そうしたら、通っている間にたまたまここを買えることになったんです。…ここ元カフェだったんです。農家さんが離農した後、偶然なんですけど京都出身で元ライダーの旅人さんが10年住んでいて、最後の3年はカフェをやっていたんです。

 

―ここ、カフェだったんですね。

 

川勝

知り合いのとほ宿の宿主さんからここのカフェを教えてもらって、最初はお客さんとして来ていたんです。「どうやってこの家を買ったんですか?」とか聞いたりして。ちょくちょく顔を出すようになって1年後に、実はカフェをやめて本州で暮らすことにした、もし宿の場所を探しているんなら買いませんか?っていう話になって。

 

―びっくりですね!

 

川勝

その人も元旅人だったんで、宿をやってもらったほうがうれしいからって。それで譲ってもらうことになったんです。

 

―いくつか物件を見てまわったんですか?

 

川勝

いろんな人に声をかけたり不動産屋さんの情報に目を通したりはしていましたけど、実際に見たのはここがはじめて。

 

―すぐにいい物件が見つかってよかったですね~。ここは林も含めたらかなり広いと思うんですけど。

 

川勝

3700坪です。

 

―3000…本州で暮らしていると想像がつかない単位ですよね。

 

川勝

はは。1000坪くらいある物件だといいなぁとは思ってましたけど…家を買ったらついてきた(笑)。ここを譲ってもらわなければ、もっと開業が遅れていたかもしれません。自分の宿開業への思いが一番強い時で、すごくいいタイミングだった。

 

―宿の旧ホームページには何回かにわけて建物を改装した時の様子が記録されていますね。

 

川勝

カフェは農家さんの建物そのままでやっていたので、だいぶ変えました。2004年の秋に建物を譲ってもらって2005年のGWから改築をはじめて8月に開業。

 

玄関部分に風除室を設置する工事中の写真。内側の玄関の戸も現在は引き戸に変わっている

 

―3か月で自力で改装!? かなりの突貫でしたね。

 

川勝

この時はとりあえず営業許可を取るためだけの最低限の改築。何としても翌年のとほ本に載せたかったのと、僕当時29歳で20代で宿をオープンっていうのが目標だったんです。9月1日が誕生日なので…。

 

―じゃあ大急ぎで。

 

川勝

なんとか8月5日にオープンしました。

 

―それからも毎年のようにリフォームされてきて。開業当時からそのままという場所はあるんですか?

 

川勝

外観はあんまり変わってないんですけど、室内でオープン当時と同じ所って言ったら1階の和室と2階の2段ベッドの部屋くらいじゃないかな。あとは玄関も含めて全部変えました。

 

―それをほぼひとりで。

 

川勝

ほぼほぼ、そうですね。訓練校の建築科だった人に手伝ってもらったりもしました。一番大変だったのは1階リビングの内装リフォームで天井を上げる工事。でもお客さんが必ず使う場所ですからね。2011年に改築したんですけど、GWに間に合わせるために最後の数日は寝ないで仕上げました。

 

―あと「こもれび」を象徴するようなテラスですね。

 

川勝

僕の中で一番力を入れて造ったのがテラスです。早く到着したお客さんにくつろいでもらえるように、と思って。早めにお風呂に入ってここでビールを飲んだり。

 

―いいですね~。でもそういった宿の改築を考えたら川勝さんも建築科のほうがよかったのでは…(笑)。

 

川勝

最初はそこまで大掛かりな改築をする予定ではなかったんです。それがどんどんエスカレートして(笑)。最近は自宅のほうに手を入れているので、宿部分はあまり変わっていないですが、増改築は今は半分趣味みたいなものになってます。

 

―はは。地元の方とは前の住人の方が引き合わせてくださったんですか?

 

川勝

はい。あいさつまわりについて行って次に私が入りますって。年配の人からは「いやー若い人が入ってくれてよかった。早く嫁さんもらいなさい」とか言われて。そうなるまでに10年かかりましたけど(笑)。

 

―10年間川勝さんがひとりで宿を運営する中でヘルパーとして登場するのが、奥さんの園江さんですね! ヘルパーとしてはいついらしたんですか?

 

園江

2014年の夏だったかな。出身は福井ですけど北海道で派遣の看護師の仕事をしていて。その契約がいったん終わったんですけど、夏に本州に帰りたくないなと思って(笑)。夏の間ちょっとおじゃまできる仕事が道内であれば、と思って探していたんです。

 

―そこで「宿のヘルパー」という選択肢が出てくるということは、よく旅人宿を利用していたんですか?

 

園江

ワーキングホリデーでニュージーランドに行った時にヘルパーのようなことをして暮らしていたんです。ここの仕事はWWOOF(ウーフ。寝る場所と食事を提供する人と労働力や知識を提供する人=ウーファーをつなぐシステム)に登録していて見つけました。

 

 

―宿業での募集はほかにもあったと思いますが。

 

園江

たくさんあったんですけど、大きいホテルだと味気ないかなと思って小さい規模の宿を探していました。ここの募集には「お酒が飲める」って書いてあったんです。

 

―決め手はそこですか!?

 

園江

「それいいな」と思って(笑)。

 

川勝

今もお客さんとたまに飲んでる(笑)。

 

10年ほど前からバイクにも再び乗りはじめた川勝さん。園江さんもバイクに乗っていた時期があり、子どもを連れての家族ツーリングに出かけてみたいそう

 

―ヘルパーでいらしたのは1シーズンだけだったんですか?

 

園江

最初は7、8月の予定で。

 

川勝

9月も忙しいので、もしよかったら9月もお願いしますっていう感じで…。

 

園江

で働いているうちに良さそうだから延長しますって10月もそのまま…。

 

―あれれ(笑)。じゃあ2014年の夏からずっといたんですか?

 

川勝

年が明けて半年くらいは本州に行って、2015年のシーズンからはもうずっとですね。

 

―宿のお仕事の分担はどうなってるんですか?

 

川勝

掃除とかは2人でやってますよ。子どもの保育園のお迎えの時間と夕飯の準備が重なってしまうので、料理はほとんど僕がやって仕上げを手伝ってもらうという感じ。昔は子どもを僕がおんぶして作業していたけど、今2歳でもうじっとしている年じゃないので…。看板とかポップとかは彼女の担当です。

 

―そうだと思いました(笑)! かわいいポップが多いなと思って。

 

川勝

結婚してから宿が小ぎれいになったって言われます(笑)。

 

 

「ちょっとした手間」を惜しまずに、

が調理のこだわり

 

―こもれびと言えば、楽しみはやはり食事です! ご自身でも一番力を入れているのが食事だとおっしゃっていましたね。 

 

川勝

十勝ってどうしても通過点として見られがち。宿のウリがないとお客さんを呼び込めないなと思って提供できるサービスで勝負しようと思って。建物は新築の宿にはかなわないので、自分ができるのは料理かなと。

 

―お料理はいつごろから?

 

川勝

母親が料理やお菓子を作るのが好きだったので、小さい頃から手伝ってました。揚げ物を作る時に卵つけて、粉つけて、とか。だから大人になって料理の本を読んで、「もったりとするまで」とかの独特の表現もすんなりわかりましたね。

 

―確かに、料理の経験がないとわからない感覚の表現ですよね。今日は鶏肉のミートローフ、長芋のキッシュ、水菜のジェノベーゼソースのパスタ、豆のトマトスープ、サラダ、行者ニンニクのしょうゆ/めんつゆ漬け、これに紅茶のシフォンケーキ! 

 

お客さん同士が自然に仲良くなれるように、と料理はあえて大皿で提供

 

川勝

夕食は通常日替わりパスタにメインの鶏肉料理、生地から手ごねで作るピザ、サラダにスープ類、デザートです。たまに、今日のように奥さんの作るキッシュがピザの代わりに出たりします。おかずによっては、「白飯を合わせたい」という人もいるのでご飯も用意していますよ。

 

―鶏肉料理、とは聞いていましたが手間のかかるミートローフが出てくるとは思いませんでした! 

 

川勝

オーブンを使う料理は多いですね。あと油淋鶏(ユーリンチ)とか、鶏ハムとか…。2週間泊まるお客さんもいるので、なるべく飽きないように鶏肉料理だけでもレシピは20~30種類あるんじゃないかな。奥さんの「これ食べたい」っていうリクエストに応えていたらレパートリーが増えました(笑)。ピザやパスタはあんまり宿で出すところがないので、お客さんに喜ばれています。

 

―料理をする上でこだわっていることはありますか?

 

川勝

手間を惜しまないことですね。コストパフォーマンスも考えないといけないので、そんなに高級な食材は使えないじゃないですか。肉は調理の仕方でだいぶ味が変わりますから。そのまま焼かないで、必ず塩、コショウで下味をつけるとか。朝食のお味噌汁も化学調味料は使わずにだしには煮干しと干ししいたけとかつお節を使っています。そこにちょっと豚肉を入れるだけで全然うまみが違ったりするんですよね。

 

―このあたりでしたら新鮮な食材は豊富に手に入りますしね。

 

川勝

サラダはダイレクトに素材の味が出てしまいますからね。新鮮な野菜をふんだんに使っています。朝食で出している牛乳は近所の牧場での絞りたて。カスピ海ヨーグルトも新鮮な牛乳を使った自家製です。

 

―これだけお料理にこだわっていたらすごく手間がかかると思いますが…。

 

川勝

僕自身、料理がおいしい宿によく行っていたんです。宿のごはんって旅の楽しみじゃないですか。その期待を裏切りたくはないなと思いますね。

 

―そうですね。これからもおいしいごはん、期待しています!

 

2019.10.1
文・市村雅代

 

大草原の小さな宿 こもれび

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〒089-0242 上川郡清水町字美蔓20-107
TEL 0156-62-7017

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