北海道を中心に全国に広がる安宿・ゲストハウス|とほネットワーク旅人宿の会

とほネットワーク旅人宿の会のロゴ

とほ宿めぐり

ダラムサラー

静かにゆっくり過ごせる宿

ダラムサラー

生駒 忠さん 大阪府出身。郊外のベッドタウンで過ごし、中学時代はサッカー部に所属。高校、大学と平穏な学生生活を送り、教育関係の大学だったことから教員の道へと進んだ。採用試験に合格後、大阪の小学校で教員生活が始まる。14年後に退職し、北海道に移住。1994年に開宿。宿名の由来は、北海道を巡礼してまわる人たちのための家という意味を込めて。

元々は吉田旅館という宿だった。経営されていた方が高齢により宿を廃業するお話、それを聞いた近所の農家の方、その方と生駒さんはお知り合い、というご縁があって、生駒さんが「民宿 ダラムサラー」として宿を引き継いだ。
宿の周辺には北海道の有名な観光地、美瑛のような波打つ丘の畑が見られるものの、あまり知られていないためか観光客は見当たらない。人が多い場所が苦手な人にとっては、自分のペースで風景を楽しむことができる。また、東京大学の北海道演習林が近く、道を走りながら素晴らしい紅葉や新緑の景色を楽しめる。
宿は1日1組限定のため、静かにゆっくり過ごしたい人にオススメ。

ユースホステルが入口となり旅の世界を知る

外国へも足を延ばし、ちょっと悲しい経験も

 

―生駒さんは、いつ頃から旅を始めましたか?

 

生駒さん

大学にユースホステル研究会があったんです。まずサークルに入って、そこからユースを知るようになって、自分も行くようになって、という流れですね。

 

―生駒さんが大学に入学したのはいつ頃ですか?

 

生駒さん

1970年代半ばですね。その頃はユースホステル運動が盛り上がっていた時だったから、ユースが日本全国にいっぱいありましたね。全然名もないようなお寺もユースホステルに加盟しとったからね。ユースを泊まり歩いて、みんなで楽しんで、みたいな感じですね。

 

―北海道を旅したのは大学の頃ですか?

 

生駒さん

大学の頃は函館とか道南の辺りしかうろうろしてなかって。そこ以外の北海道に行ったのは、大学卒業して仕事に就いてからの夏休みとかですね。

 

―旅の行き先は国内だけでしたか?

 

生駒さん

大学の時は卒業旅行みたいな感じでフランスとかオーストリアに行ったんですよ。1週間とか10日間くらいかな。その後仕事を始めて、夏にアフリカに行こうって言って6人くらいで計画立てたんですよ。大学の時のサークルの知り合いでね。

 

―みんなでアフリカの旅なんて、楽しそうですね。

 

生駒さん

パキスタン航空で行ったんですよ。カラチに着いて、次はケニアにみたいな感じでなっとったら、ちょうどケニアでクーデターか暴動か起こって。「行ったら帰ってこれないかもわかんないよ」とか言われて。

 

―ケニアに行ったんですか?

 

生駒さん

3人は、「もうここまで来たから行く」と言って。私たちは慎重派やったから、もし何かあったらあかんから、「アフリカ行くのやめよう」と言ったら、航空会社の人がケニアまで行けない代わりにパキスタンの旅行をアシストしてくれるということやったんで、それに変えてパキスタン国内を車で運転してもらって。それはそれで結構楽しかったですね。

 

―3人の皆さんとは離れ離れになってしまったけれど、旅のハプニングを楽しめるってすごいですね。

 

生駒さん

パキスタンからアフガニスタンの方に抜けるカイバル峠の国境線まで行ったんです。向こうの山って全部岩山なんです。日本みたいに木が生えている山は無くて、ふもとの方にちょっと木があるみたいな。峠から見たら遠くの方の砂漠みたいなところにぽつっとオアシスみたいな村が見えて、「おぉ、あれがアフガニスタンの村だ」とか言って。そんなとこ行ったりして、パキスタンは面白かったですね。

 

―パキスタンの町の様子はどうでしたか?

 

生駒さん

パキスタンはイスラム教で、当時は女の人がほとんど外を歩いていないんです。女性は部屋の中にいて、買い物とかも夫が行って。女の人は大事だから外に出さないように、みたいな。そんな感じですね。

 

―女性にとっては不自由な時代だったんですね。

 

生駒さん

私と女性2人と3人で、知り合いになった家に遊びに行ったんです。「よく来たなぁ。まぁ、あがれ」

と言われるんだけれど、家の中にそこの女の人がいてるから、女性2人の方には、「まぁ、あがって」

と言うんですけど、私、男やから、「階段の下の部屋で待っとって」と。女性たちが上の部屋で歓待されて、それが終わるまで一人だけ待って、ちょっと悲しい思いをしましたけどね。

 

―その後も外国へ旅に出ましたか?

 

生駒さん

あとはネパールとかインドとか。連れ合いの方が3年くらいカルカッタの方にずっと留学で行っとったんです。それもあって何回か行ったりしてましたね。

 

おおらかな時代から何かと厳しい時代へ

教員生活も時代の波に呑まれていった

 

―教員生活は楽しかったですか?

 

生駒さん

小学校では子供らが話をしたいとか言ってきて話をしたりして、楽しかったですよ。結構わちゃわちゃしながらやっていました。

 

―何故教員を辞めようと思ったのですか?

 

生駒さん

厳しい先生は生徒に咳一つさせないとか、いてるじゃないですか。私はそういうことはなかなかできへん性格やったから大変でした。いろんな子がおって、ビシッと言うこときかすことが性格的にできへんかったから。やっぱり教員は合ってなかったんでしょうね。

 

―長く働いていると、いろんな出来事がありますからね。

 

生駒さん

人と話したりとか触れ合うのが好きやったから、子供らも楽しかったけど、大人と話すのも楽しいやろうと思って、こっちに来たようなもんですね。

中富良野のとほ宿「いもやらだいこん」(現在は廃業)に何回か泊まったことがあって、オーナーのYさんが、「もう宿をやめようと思うから、引き継いでみない?」という話になって、「それも面白いかもね」と言って、教員の方も辞めようという話になったんです。

 

―引継ぎはとんとん拍子に?

 

生駒さん

話を進めていったら、最終的に「いもやらだいこん」を引き継ぐ話はなくなって。でも教員辞めて北海道で宿やろうってなっているしな、どうしよう、と悩んどったら、ここ元々吉田旅館っていうとこだったんですけど、経営されてた方が高齢になって、東京の方に息子さんとかいてて、二世帯住宅にするからおいでって言われてて、ここを引き払う予定やったみたいで。それをたまたま私たち知り合いになっとった近くの農家の人が教えてくれて。

 

―ご縁ですね。

 

生駒さん

この近くに「開拓民ぼん」(現在は廃業)っていう宿があったんです。そこに私たちが行っとった時にその農家の人も来とって。そんで吉田旅館の話を聞いて引き継いだんです。「とりあえずここでやらしてもらって、それからどっかいいとこあったら移転してもいいよね」と言って来たんですけど。でも結局移転は無しに、ここにずっといますけどね。

 

―農家の方とお知り合いになる程、この辺りにはよく来ていたんですか?

 

生駒さん

北海道の美瑛とか富良野を中心に何回か来とったから、ここのつながりはあるんです。

 

―美瑛とか富良野が好きなんですか?

 

生駒さん

そうですね。海際よりも山の方が好きやからみたいな感じで来てました。

 

―「いもやらだいこん」とか「開拓民ぼん」といった宿をどうやって知ったのですか?

 

生駒さん

友達が「いもやらだいこん」とか知っとったから一緒に遊びに来て、「あ、こんなんあるんだ」みたいな。友達の紹介ですね。

 

―どんなところが良かったですか?

 

生駒さん

ユースよりもっとくだけた感じで。ユースだと酒は飲めないとか、ちょっとかしこまっている感じがあって。それがお酒とかも含めて結構ワイワイすることができて、楽しかったんです。大阪からこっち来て、おんなじような宿をしようかなって。

 

時に不思議なつながりを感じる、人とのご縁

北海道に移住してインド音楽の宿を開宿

 

―宿を引き継いだのは、生駒さんが何歳くらいの時でしたか?

 

生駒さん

37か38歳の時かな。宿を引き継いで23年間やって、その後5年間鹿児島に行って2年前に戻ってきたから。今私が67歳やから。

 

―生駒さんが教員を退職して北海道に移住し宿を始めることについて、ご両親は反対しませんでしたか?

 

生駒さん

北海道で宿をやることを言った時、親はやっぱり心配やったんやないですか。反対やとは言わへんけど。「好きなようにやって、自分の思うようにしたらええ」っていう感じやったけど。せやけど一応公務員やし、そのままおったら経済的には心配はあんまりない形やったから、そりゃ辞めない方が良かったって思ってはったんじゃないですかね。でも結局、札幌に姉が嫁いできとったから、両親も大阪から北海道に来ましたけどね。

 

食事のこだわりはスパイシーなカレーと、食後にいただく甘いチャイ。「ここの水は美味しいんですよ。山からの湧き水ですからね」と生駒さん。

 

―宿名の「ダラムサラー」の由来は?

 

生駒さん

北インドにダライ=ラマ14世が亡命政府を作った「ダラムサラ」っていう町があるんですけど、うちの「ダラムサラー」はそれじゃないんです。インドにヒンドゥー教の聖地があるんですけど、聖地巡礼する人を泊めてあげる宿があるんです。それを「ダラムサラー」っていって。「ダラム」は宗教、「サラー」は小屋とか家とかの意味で、宗教の家みたいな感じで、そっからとったんです。北海道を巡礼してまわる人たちのために、みたいな。

 

―どんな宿にしようと思いましたか?

 

生駒さん

インド音楽の宿にしよう言ってね、宿を始めたんです。だから調度品とかもインド関係のやつがあるんです。それから楽器とかね、シタールとかタブラとか。ライブをやっとって。

 

―どんなライブでしたか?

 

生駒さん

私がタブラを叩いて、あの人(お連れ合い様)がエスラジを弾いて。でも、あの人が人前で弾くのは嫌みたいな感じで。それやったら誰か弾いてくれる人を頼もうっていうことになって。最初Sさんて、シタール弾く人やったんだけど、段々と「この人に来てもらって」とか、「この人に言ってもらって」とか、人も増えて。途中カタックとか、インドの踊りがあるんですけど、それで来てやってもらったりとか。富良野演劇工場っていう、割と大きい箱で公演みたいなことしてもらったりとかね。

 

―輪が広がっていったんですね。ライブはどのくらいの頻度でやったんですか?

 

生駒さん

ライブは毎年夏やっとって、隣をシアターみたいにして17年間くらいずっとやっとったんです。最初の頃は2ヶ月、その後は1ヶ月くらい毎晩ライブをやっとったんです。演奏者は名古屋とか京都とか、東京からも来てくれたんです。

演奏者も泊まって旅人と一緒にご飯食べたりするから、私たちよりも親しくなって、関係が深くなるんです。演奏者が名古屋に帰ってコンサートとかする時に、「近くの人やったら来てね」みたいな。私たちよりも仲良くなってったみたいで、その点は良かったかもね。

 

―ライブはいつ頃までやっていたんですか?

 

生駒さん

2017年までライブをやっとったんです。そうやってプロの人に来てもらって、ギャラは安い中でも払って、ここで食べてもらって。お客さんには単に泊まってもらっていうよりは思い出になって、良かったと思います。

 

―いろんな人が集まって、楽しそうですね。

 

生駒さん

ライブしとった時やから、プロの人以外でもね、ギターを弾く人とか、わざわざ泊まりにきて飛び入りで歌ってくれたりとか、そんなんは楽しかったですね。

女の人が1回、ジャズボーカルみたいな人が泊まって、すごく上手でしたね。趣味で歌ってる言うとったけど、上手やった。すごくいい声で、「おぉー、いいなぁ」と覚えてます。

 

―5年間のブランクの後、再びここに戻って「ダラムサラ―」を再開しましたが、お知り合いの皆さんからの反応はいかがでしたか?

 

生駒さん

久しぶりに始めたら昔のお客さんから連絡がきたり、宿の前を通った時に、「やってるんですね。帰ってきたんですね」と言われると嬉しいよね。

 

宿から徒歩1分の道端には、写真の他「ニャー 猫、走る」、「にゃんこ出現」という看板も立っていて、ドライバーに注意を促している。この周辺には沢山のねこちゃんを飼っているご家庭もあり、お散歩に出掛けてケガをしないよう、ねこちゃんへの愛情が感じられる。

 

少し脇道にそれるだけで思いがけない風景と出会う

予想外の展開に旅の楽しさが広がっていく

 

―地元の魅力は何ですか?

 

生駒さん

近くに東大演習林があって、針葉樹と広葉樹が混ざっとって、秋の紅葉とか春の若葉とかすっごいきれいなところで。なんといっても人がいないところがいいです。

 

―紅葉の見頃はいつですか?

 

生駒さん

紅葉は10月下旬くらいです。緑と赤と黄色と、道を走りながら紅葉を楽しめます。

 

―紅葉の季節に来てみたくなりました!

 

生駒さん

それとこの辺、丘の連なりとかあって、特に十勝岳とか夕張岳とか見えて、景観的には美瑛の丘と一緒とは言わんけど、そんなに見劣りしないところで、かつ観光客は丘に一人もいない。一人当たりの風景の価値でいえばこっちの方が勝っているんです。美瑛なんか有名な丘に行くと観光客が何十人もいてるでしょ。でもこっちは一人やからみたいな。

元々ここに移住したのも美瑛とか、そういう有名観光地じゃなくて、ちょっと静かなところで、ということで来たんです。

 

宿の近くに、波打つ丘の風景が広がる。案内標識もなく、砂利道の農道の先に行かないとたどり着けない。坂を上って周囲が開けてこの風景が見えてきた時、思わず「おぉー!」と口にしてしまった。

 

―波打つ丘の風景って、美瑛でなくても見られるんですね。

 

生駒さん

今年はもう終わりましたけど、小麦畑とかもきれいですよ。

 

みんなで賑やかな旅も楽しいけれど

静かにゆっくり過ごせる旅もいい

 

―冬になると、スキー目的で来るお客さんもいますか?

 

生駒さん

富良野のスキー場が最近人気高まっているみたいなんです。富良野スキー場からここまでの距離は27km、南ふらのスキー場からだと14km。去年の年末年始にスキーのお客さんが来たんです。富良野スキー場なら車で40分近くかかるけど、リフトが動き始めるのが9時とかだから、朝ゆっくり起きて、ごはん食べて、安全運転でゆっくり走っていけばちょうどいいかなって感じですね。

 

―宿は1日1組限定だから、気兼ねなく過ごせそうですね。

 

生駒さん

1部屋のみで、定員3名なんです。家族でスキーなんかやったら独り占めで、談話室で夜中ストーブたいてスキー板の乾燥室代わりに使ってもらったりとか、できますからね。

 

宿から徒歩3分の「西達布」バス停には花があふれている。バスはこの後、富良野駅まで行く途中で東大演習林の脇を通る。インターネットでこのバスの時刻表を調べる場合は「ふらのバス西達布線」で検索。

 

―これまで宿泊したお客さんで印象に残っている思い出はありますか?

 

生駒さん

うち25年くらいここで宿やっていて、完全に徒歩で旅している人は一人しかいませんでした。宿を始めた頃に、しかも冬、多分12月とか1月とかそんな頃に来ましたよ。

「明日狩勝峠を越えて、十勝の方に行きます」と言って。でも次の日結構天気が悪くて、「大丈夫?」

と言ったんだけど、でも行って。次の日かその次の日くらいに電話したら、結局天気がひどくなって、もうダメってなって、狩勝峠の公衆トイレでビバークして。気温マイナス20度の世界ですよ。建物の中だったからよかったけど、外だったら死ぬよね。今でも年賀状やりとりしているけれど、若かったからできたんじゃないの。

 

―海岸沿いではなくて内陸を徒歩で旅するなんて、かなりの強者ですね。他にも印象に残っている思い出はありますか?

 

生駒さん

とほ宿コンプリート目指している人が来ましたよ。ここで完成だって。

 

―それもすごいですね!

 

2023.9.25

文・園田学

ダラムサラー

ダラムサラー

〒076-0201
北海道富良野市字西達布2175-7
TEL 0167-56-9224

その他の記事

カテゴリー

ページトップへ