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とほ宿めぐり

ゲストハウス 函館クロスロード

「宿なら、好きで移住した
函館を紹介できると思って」

ゲストハウス 函館クロスロード

且過(たんが)英樹さん 兵庫県出身。20代で函館に移住し長距離トラックの運転手を経て2010年宿開業。北斗市のキャラクター「ずーしーほっきー」がデザインされた原付のオリジナルナンバーができると聞き、2年前に二輪免許を取得。スーパーカブを購入して原付の楽しさ、使い勝手のよさに気がついた。県別、国別に「行きたい所リスト」を作っているが、増えるばかりで行ききれていない。

電車旅、自転車旅を経て、車で日本一周の旅へ。その間に阪神・淡路大震災が起こり、実家のある神戸が甚大な被害を被る。旅の目的に移住先探しが加わり、道中ニセコのとほ宿でヘルパーをしたことをきっかけに北海道への移住を決意。函館に移り住み、小さい頃からあこがれていた長距離トラックの運転手として働くことに。その後、体力面から仕事を続けられるか考えはじめた頃、函館にとほ宿がなくなったことを聞き、開業を決意した。特に函館の夜の観光をおすすめしている。

父親の影響で

旅好き、乗り物好きに

 

―函館なのに談話室は沖縄ですね!

 

且過

沖縄の知り合いがわざわざビロウの葉を持ってきてくれて、模様替えしたんです。

 

―沖縄のオリオンビールまである(笑)。

 

且過

もし沖縄で宿をやっていたらサッポロクラシックを置いていたかもしれません(笑)。

 

沖縄風にリフォームされた談話室

 

―はは。沖縄といえば、且過さんは冬に北大東島でサトウキビの収穫作業をされてますよね。

 

且過

乗ったことのない作業車に乗れるっていうことにひかれたんですよ。電車、トラック、バス…乗り物が好きなんです。ネタにもなるなぁと思ったし(笑)。北大東島に行ってみたいと思ったのもありますね。収穫したサトウキビを運ぶ作業をしています。

 

―ブログを拝見すると、旅にもちょこちょこ出られているようですが。

 

且過

北大東島から函館に帰ってくるときに、神戸の実家に寄りつつ1か月くらい旅をしながら北上することもありますね。

 

ー台湾、タイにもよく行かれてますが、アジア圏がお好きなんですか?

 

且過

アジアは安く行けるというのもありますが、台湾は鉄道があるしちょっと昭和っぽい雰囲気がおもしろそうだなと思って行きはじめました。父親が旅好き、乗り物好きだったんですよ。元々船乗りなんですけど、いまでも貨物時刻表を定期購読してるくらい(笑)。小さい頃は主に電車でいろんなところに連れて行ってもらいました。四国、九州方面が多かったですね。寝台列車にも乗せてもらったり。日帰りだったら福知山線とか北陸線とか。旧型客車が走っていた時代です。家族旅行は年に1回くらいでそのほかは父親と出かけていました。

 

―父と息子の電車旅…いいですね。

 

京都~姫路間を走行していた新快速の車両と

 

且過

はじめてひとり旅をしたのは中学2年生。青春18きっぷで四国に行ったんです。最初に泊まった徳島のユースホステルでは北海道のユースでヘルパーをしていた人がミーティングを仕切っていて、利尻島でフェリーを見送るときの踊りを踊ったり、いきなり濃いめのミーティングを体験しました。

 

―中学2年生でそれは…かなりカルチャーショックを受けたのでは?

 

且過

ユース楽しいなぁって思いました(笑)。当時の会員証も取ってありますよ。スタンプを押してもらうのが楽しくて。いまのとほのスタンプにも通じるものがありますよね。

 

―そうですね。なんかスタンプって集めたくなっちゃう(笑)。

 

且過

中学卒業後は高専(高等専門学校)に入ったんですけど、今度は自転車に目覚めまして。

 

―高専だと5年間ですね。

 

且過

夏休みが50日あったので1年から4年までは滋賀県のユースで1か月間アルバイトして。そこで得たお金を使って残りの半月は自転車で旅をしていました。最初のころは、飛騨高山や信州のあたりに行っていましたが、輪行(公共交通機関で自転車を運びつつ移動すること)を覚えてからは行動範囲が広くなって九州あたりへ。卒業旅行は沖縄ですね。高専では機械工学科だったんですけど、同級生に鉄工所の息子がいたので、そこで自分が乗っていた自転車のキャリアを強化してもらって、多少重たい荷物を乗せても大丈夫なようにしてました。

 

―自転車旅はその後も続いたんですか?

 

且過

高専卒業後は大手化学メーカーに就職して新潟の工場に配属になったんですが、最初のゴールデンウィークは定期修繕とも重なったので有給休暇をつけて北海道へ。新潟から特急いなほ、快速海峡、特急北斗、夜行のまりもと乗り継いで、標茶からは自転車です。

 

―入社して1か月くらいですよね? 新人がいきなり長い休みを取って大丈夫だったんですか?

 

且過

「どホワイト」な会社だったんです(笑)。初年度から有給休暇が15日くらいあったし。

 

―いい会社ですね(笑)。行先に標茶を選んだのはどうしてだったんですか?

 

且過

はじめての北海道だったので、どうせなら「らしい」景色を見たいと思って道東へ。鉄道が好きだったんで、廃線になった標津線跡に沿って行きたいなというのもありました。でもすごく寒くて…そして景色が3時間くらいずーっと変わらない(笑)。これ以降、旅は車で行くようになりました。

 

―(笑)。このときもユースを使っていたんですか? もうとほ宿はあったと思いますが。

 

且過

ユースを使ってましたね。とほ宿のことは沖縄で知り合った人から、北海道にはおもしろい宿があるよって教えてもらっていましたが、僕はユース派だったのでその時は眼中にはなかったんです。

 

―そうだったんですね。お勤めの間は長期の休みのごとに旅をしていたんですか?

 

且過

していましたが、最初の3年間は3交代制の仕事で修繕の時期以外は正月でも出勤していました。世間的な休日に出社するとすごく手当てがいいので、僕ら独身はなるべく正月とかは働いたほうがいいって言われて。22歳くらいが人生で一番年収が高かったかもしれない(笑)。最後の1年半は事務所の勤務だったんですが、残業時間を20時間を超えると本当に怒られました。上司が率先して帰ってましたからね。

 

―本当に「どホワイト」な会社ですね~(笑)。…なのになぜ辞めてしまったんですか?

 

且過

いい会社だったんですけど…20歳の時点で60歳までがなんとなく見えていたっていうのがちょっといやだったんです。あと、思う存分旅をしたいという欲が出てきてしまって。それで4年半で辞めることにしたんです。

 

日本一周旅でとほ宿に宿泊

人生のターニングポイントに

 

ー思う存分旅をしたいという欲が出てきて辞めたということは、その後、旅に出られたんですか?

 

且過

車で日本一周することにしました。まず神戸を出て四国から瀬戸内海をまわって九州の東側へ。で、鹿児島からフェリーで奄美大島、徳之島、沖永良部島に行って沖縄本島、そして11月、出発から1か月ちょっとで石垣島に着きました。冬の間はどこかでアルバイトをしようと思っていたのでアパートを借りて製糖工場に勤めることにしたんですが…実はその石垣島にいる間に阪神・淡路大震災があったんです。朝テレビをつけたら、神戸で震度6の地震があったって言うから、大変やと思って親に電話したら、テレビは落ちてきたけど、大したことないよって。家は何ともないから仕事しときって。

 

―それは何よりでした。 

 

且過

4月の半ばくらいで製糖工場の仕事は終わったんで、その後は日本海側を通って五島列島、長崎…。でも震災の後は、旅の目的に移住先探しも加わりました。もう神戸には住めんなと思って。

 

―そうでしたか。

 

且過

住むなら地方都市がいいなと。スーパーまで20キロとかは、僕絶対無理だから(笑)。ほどほどいなかでほどほど都会な場所。海が好きなので那覇、熊本、下関、尾道、いわきあたりが候補でしたね。で、函館に入ったのが8月はじめ。そこでとほ宿に泊まったんです。

 

―とほ宿に泊まったのはこのときが初めてですか?

 

且過

いや、その前に沖縄でとほ宿に泊まっていたと思うので2回目かな。このときは、仕方なく…というと語弊がありますが、ユースがいっぱいだったのでとほ宿に泊まることになったんです。でも、すごく楽しくて。泊まり合わせた人と一緒に函館山のロープウェイに乗って記念写真を撮ったり。それで、とほ宿ってすごくおもしろいじゃんってなった。北上していく道中、ほかにあるのかなって探したらニセコに3、4軒あって、その中で「旅物語」は「お酒の持ち込み大歓迎」って書いてあったんです。こういうところは騒げるとこやろなって思って(笑)。

 

ーそういう見方もありますね(笑)!

 

且過

お盆直前だったんだけど、行ってみたらまだヘルパーが決まってなかった。それで、じゃあ僕やりますって。宿主の五十嵐英樹さんも奥さんもお客さんもみんな同年代で毎日すごく楽しくて。たぶん、僕の人生のターニングポイントは函館のとほ宿と旅物語に泊まったことです。

 

右から五十嵐さん夫妻、ヘルパー仲間、且過さん。当時旅物語は、開業2年目だった

 

―「お酒の持ち込大歓迎」っていうのは、とほ本に書いてあったんですね?

 

且過

そうです。手書きのイラストの吹き出しだったかな。

 

―そんな小さいところで人生決まっちゃうんですね…(笑)。

 

且過

そのときは宿主なんて無理と思ってましたが(笑)。いままで雪がないところで育ったけど、旅物語で過ごすようになって、北海道もいいかなって思いはじめたんです。それで、もし北海道で暮らすなら、雪がどんな感じか冬をちょっと体験してみたいと思って10月から翌年の4月半ばまで斜里町の製糖工場で働くことになりました。

 

―どうでした、北海道の冬は。

 

且過

天気の悪い時といいときのメリハリがあるなと思いました。吹雪のときに1回車ごと畑に落ちたりしましたが、思ったよりもどうにかなるかな、と。道内でも寒さが厳しい斜里でなんとかなるなら、大丈夫かなって。濡れたタオルを振りまわしてバリバリにさせたり、息を吸うと鼻が痛くなる寒さもそこではじめて経験しました(笑)。

 

―ははは。

 

且過

移住の候補地は、函館と恵庭と帯広に絞られてたんですけど、やっぱり海の近くがいいなと思って最終的に函館に。7月には神戸に帰って親にも俺もう函館に住むことにしたからって。長距離トラックの運転手になりますからって。

 

―運転手!

 

且過

実は、小学生の頃から映画の「トラック野郎」が大好きで。トラックの運転手もいいなぁって思っていたんです。でも高専に行った時点で、トラックとは違う方向に進んでしまったので…。会社を辞めることにしたときに、だったら運転手をしたいなと。いつか役に立つと思って辞める前に大型の免許を取っていたんです。

 

―では函館でいよいよトラックの運転手になるわけですね。このときお仕事の目星はついていたんですか?

 

且過

全くついてなかったです。まず生活の土台をつくらないとはじまらないなと思ったので家から探しました。

 

―旅物語の五十嵐さんは移住に関して何か言ってましたか?

 

且過

不動産屋さんから最初、アパートの保証人は道内の人でって言われていたんです。そうしたら五十嵐さんが「よかったら僕がなってあげるよ」って。結局神戸に住んでいる親でいいということになったんですが、そういう陰ながらのバックアップはしてもらいました。ありがたいですね。

 

とほ宿空白地になった函館で

運転手から宿主に転身

 

―じゃあそうやって、函館での暮らしのベースはできたわけですね。

 

且過

その後、運送会社の仕事も決まりました。お盆明けくらいの出社予定だったんですけど、初出社の前日に電話がかかってきて、「4、5日分の出張の用意をしてきて」って言われたんです。それで出社したら、そのまま1か月帰れませんでした。

 

―えー! どこに行ってたんですか?

 

且過

ずっと本州と北海道を行ったり来たり。初日に会社に行ったら、車は福島県に置いてあるからって先輩の車に乗せて行ってもらって、次の日にはひとりで荷物を積んで運転してました。農協にモモを積みに行ったんですけど…。

 

―モモは扱いが難しそうですね。

 

且過

モモはヤバいですよ(笑)。検品しやすいように積まないといけないんですがそんなの全然知らんから。適当に積んでたら、それで大丈夫なんかって言われたりして。

 

―ただ丁寧に積んだんじゃだめなんですね。

 

且過

その荷物は翌朝の5時までに函館に届けるもので、青森港夜10時発のフェリーに乗らないといけなかったんですが、そのことを夕方5時頃に福島で知って。先輩からあと5時間しかねえぞって言われて、よくわからないままぴゅーって。

 

―ははは。

 

且過

なんとか函館には間に合ったんですが、そこでもよくわからないので手伝ってもらいながら荷物を降ろして。そんな感じでいきなり1か月家には帰れなかったんです。

 

―函館には行ってるのに家には立ち寄れず…。

 

且過

そうですね、会社にちょっと寄るくらい。8、9、10月は野菜の運送で繁忙期なんです。市場に行くと、このリフトとあそこのパレット使ってねって言われて自分で荷物を降ろさないといけない。でも、リフトなんて使ったことないですから(笑)! もたもたしてたら、まだいたのかって怒られたりして。半年くらいは明日辞めよう、明日辞めようって思っていました。でも俺これ辞めたら、あとないやんって。それだけで続けてました。1年くらいたって、ひと回りしたらなんとか要領もわかってきて。

 

―いきなり現場ですもんね。そんな感じで鍛えられて、まずは1年。これは20代後半の頃ですね?

 

このナンバーが欲しくて、バイクの免許を取得。乗り物全般が好きで、一般道での走行が認められていない2台のトレーラーを連結したトラック、ダブルストレーラーを山口県に見に行ったことも

 

且過

そうですね、26歳のときに函館に来たので。

 

―最初1か月帰れなかったということですが、平均では1回出るとどれくらい帰れなかったんですか?

 

且過

平均すると半月から20日ですね。

 

―新卒で入った会社は「どホワイト」でしたが…。

 

且過

全部で3つの運送会社に勤めましたが、全部ブラックでしたね(笑)。最初の会社は6年くらい勤めているうちに給料が遅れはじめたので知人が立ち上げに関わった別の運送会社に移ったんです。でもこの会社は、入社して2年でつぶれてしまいました。前兆はあったんです、給料が遅れたり。で正月明けに東北道を北に向かっているときに連絡が入って、且過君、ごめん無理やったって。会社がつぶれたって。

 

―それ、仕事で荷物を積んで走っている最中ですよね?

 

且過

そうです。東京で積んだ食品を札幌に運ぶ途中。とりあえず荷物は運んだんですが、届け先でも倒産のことは知っててすごい微妙な空気になってて。

 

―うわー。

 

且過

でもあれはいい経験でしたね。社長の使途不明金とかいろんなのが出てくるんですよ。社長の家にみんなで行って未払いの給料の交渉したり。そんなごたごたが落ち着いたころに、知り合いから連絡があって、いま1台トラックがあまってるから乗らないか?って。そしてまた運送会社に勤めることに。…なかなか宿の話が出てこない(笑)。

 

―ははは。運送業界には何年いたんですか?

 

且過

全部で13年くらいかな。

 

―運んでいたのはずっと食品ですか?

 

且過

ゲームセンターに納品するゲームとかも運んだりしましたけど、ほとんどが食品。牛乳は小さい工場の場合、製造ラインから流れてくるのをどんどん積まないといけないんです。積みきれなくてたまっちゃったら、ちょっと待ってくださいっていうんだけど、それ言うの恥なんで(笑)。で、そういうことをやってると腰を傷める。

 

―トラックで運ぶだけでなく荷物の積み降ろしもお仕事なんですもんね。

 

且過

あと、食生活がめちゃくちゃで。サービスエリアのカレーで生きていたことがありました。時間的にカレーしか食べられないんですよ。

 

―うどんとかもありますよ?

 

且過

うどんは時間かかりすぎ。

 

―それくらい時間にシビアだったんですね。

 

且過

尿管結石も3、4回やってます。フェリーの中でリアルに「お客様のなかにお医者様はいらっしゃいますか?」っていうこともあった。室蘭から青森に行くフェリー(当時)で出港してから2時間くらいしたところだったんで、船が着くまであと5時間。

 

―尿管結石は相当痛いと聞きますが。

 

且過

痛みで吐くくらい。相当痛い。でも命には関わりないから…。その時は何回目かだったんでピンと来て、自分で案内所にいる人に「多分尿管結石だと思うけど腹痛いんで、どこかで休ませてもらえませんか?」って言って休ませてもらって、港に着いたらそのまま救急車で病院に。

 

ー運んでいた荷物はどうなったんですか?

 

且過

代わりの人もいないから、病院で点滴してもらった後そのまま僕が名古屋まで…。そういうのが続くと、50、60歳になってもこの仕事をできるのかなって思いはじめて。そんなときに五十嵐さんから、函館のとほ宿がなくなっちゃったっていう話を聞いたんです。以前は3軒あったんですけど、みなさん辞められて。この手の宿がないから函館には行かないっていう旅人もいるって。

 

ーなるほど。

 

且過

運転手の仕事は楽しかったんです。どうせ運転手をやるなら思い切り長距離を運転したいと思っていたけど願いが叶って九州にも行けたし。でも先々のことを考えてしまったことと、元々函館が気に入って移住してきたので旅人さんにいろいろ紹介できるんじゃないかなって思って。それで宿の開業を考えはじめたんです。

 

宿の開業を見据え、2007年の第1回函館歴史文化観光検定を受け合格した。運転の合間に公式テキストで勉強したが、一番苦労したのは「検定の日に函館にいられるように仕事を調整してもらうこと(笑)」

 

ーそうだったんですね。

 

且過

運転手をしながら場所を探しはじめたんだけど、結局場所が決まるまで5年ぐらいかかりました。最初は函館山ろくの観光地周辺で探していたんですけど、駐車場付きの土地は金額的に厳しくて。そしていい条件のところは下見にも行けないうちに売れちゃう。

 

―ほとんど函館にいないので、その辺は不利ですよね。この場所にはどうやってたどり着いたんですか?

 

且過

探しはじめて5年も経ってたから、本当に何とかしないとって思って函館市内から北斗市まで範囲を広げて探しはじめたんです。ここは値段的にもちょうどよく、間取りもあまり変えなくてよさそうだったので。

 

―公共交通機関もいろいろ近くて便利ですよね。

 

且過

ここだったらフェリー乗り場も近いし鉄道の駅も歩いて行ける。まわりにはラッキーピエロとか飲食店もいっぱいあるし。

 

―確かに食べるところには困らないですね。宿泊は素泊まりのみですが、最初から食事は出さない予定だったんですか?

 

且過

はい。コンビニも近くにあるし朝食も朝市に行く人が多いので。食事があると、旅人の移動時間は朝食以降から夕食までになるじゃないですか。とほ宿の中に1軒くらい食事の時間を気にしないでチェックイン、チェックアウトができる宿があってもいいんじゃないかなって思って。宿から徒歩約10分のフェリーターミナルには夜遅くの着便があることもあり、受付は12時までにしています。

 

―旅物語でヘルパーをしているときに、自分が宿主になるのは無理と思われていたということでしたが、その部分はどうだったんですか?

 

且過

夜、ほかのとほ宿みたいに何時からみんなで話しましょうっていうのはないので…。僕、函館は夜がおもしろいよってずっと言っているんです。夜景もいいし、教会もライトアップしてる。だからどんどん街に出てほしい。でも宿でゆっくりしたい、誰かと話をしたいという人には少なくとも僕はいますからっていうスタンスです。お客さんみんなが談話室に来る日もあるし、女子ひとり旅同士が部屋の中で盛り上がって談話室には来ないときもある。でもうちはそれでいいんです。お客さん同士で盛り上がるのが一番。宿主がおもしろいことを話すのを待っている人もいますが、僕が主役になったらだめっていうのは常に頭に置いてます。

 

―それが「函館クロスロード」の個性ということで。

 

且過

自分ではそのつもりでやっています。とほ宿をまわっているお客さんに受け入れてもらっていればですが…(笑)。

 

―函館市・北斗市の細かい情報もフォローしてらっしゃいますよね。ちょうどいま入港していると教えていただいた帆船海王丸は見に行ってきましたよ! こういう旬な情報って意外に観光客には届いていないと思うんです。どうやって細かいネタを収集しているんですか?

 

且過

ネット、特にツイッターからの情報を参考にすることが多いです。でもその情報を提供する前に必ず自分の目で確認していますよ。

 

ー海王丸も且過さんが見てきたとおっしゃっていたので見に行ってみたくなったんです。

 

且過

函館に限りませんが、街を歩くときに目に入るもの全てにアンテナを張っています。看板やマンホール、何気ない表示プレートなど…。「VOW」という街ネタ本のファンなので、その影響もあるかもしれません。

 

階段スペースの壁には旅先などで且過さんの「琴線に触れた」グッズがずらり

 

ー周辺を案内するときにご自身の旅の経験は反映されていますか?

 

且過

自分が宿に泊まったときに欲しいと感じた情報を旅人さんにお伝えするように心がけています。特に路線バスは現地でないと状況がわかりづらいことが多いので、できるだけ細かく説明しています。例えば、ここから五稜郭公園に行くには路線バスが便利なんですけど、五稜郭周辺には停留所が多い上に名前が紛らわしいので行きたい場所に行けるように案内したり、その後の行程を聞いて、一番おトクな1日乗車券の種類や購入場所をお伝えしたり。

 

ー確かに路線バスは旅人にはハードルが高い! 

 

且過

外国からの旅人には、自分が旅先で言葉がわからなくてお店に入りづらい思いをした経験があるので、メニューに写真があるラーメン店を教えてあげたり。ラッキーピエロはメニューに写真がついているので好評です(笑)。

 

ーふだんからそういう目で近隣のお店を見ているということですね。

 

且過

日本人の旅人さんは、北海道に来ると海鮮系の食事が続きがちで「普通の食事がしたい」という人が意外と多いんです。その気持ちもわかるので焼肉、豚丼、日本そば、普通の定食屋さんなど、幅広くお店を紹介できるようにしています。

 

ーお話を聞いていたら、どこかに行きたくなってきました。

 

且過

僕も旅は好きですが、結局は知らんところに行くのが好きなのかも…。「(時間が)長い」「(距離が)遠い」だけが旅ではないと思うんです。旅をする時間がないという人は多いと思いますが、通勤、通学途中の降りたことのない駅で降りてプラプラするのも旅のひとつの形だよって言いたいですね。

 

ー確かにそうですね! 且過さんを見習って、ちょっとした看板とかもチェックするようにしてみます。

 

2019.4.16
文・市村雅代

 

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