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とほ宿めぐり

The TROUT inn 鱒や

「お客さんに好奇心を
満たしてもらっています」

The TROUT inn 鱒や

橘利器さん 東京都出身。1994年宿開業。前職は雑誌に記事を書いたりテレビの台本を書いたり、というライター業。宿開業に際しては料理や建築など、前職で得た知識が役に立った。休館の時期には車に自転車を積んで旅へ。紀伊半島や房総半島、会津盆地が今後の行き先の候補。11月の第一土日は千葉県我孫子市で開催される「ジャパン バード フェスティバル」に常連客とともに出店している。

中学時代の山登りを振り出しに、様々なアウトドア・アクティビティに親しむようになる。その宿主の個性を反映して、宿には釣り(フライフィッシング)や自転車などの趣味人が集うが、近年最も多いのは野鳥ファン。冬になると庭で撮影できるシマエナガを目当てに多くの人が集まる。スノーシューハイキングとネイチャーフォトのガイドも実施。開業当初から個室を多く用意し、ひとり旅の人のみならず、家族連れも歓迎している。

庭のシマエナガをきっかけに

野鳥好きが集まる宿に

 

ーとほ宿は、夏が繁忙期だというところがほとんどですが、「鱒や」は冬が忙しいんですよね。

 

特にこの5、6年かな。野鳥狙いの人が増えて、12〜2月と5、6月が忙しいですね。そもそもはシマエナガっていう鳥がきっかけなんですけどね。これがシマエナガです。

 

橘さんが撮影したシマエナガ。「シマ」はストライプではなく「北海道」の意味。真っ白く、冬は防寒のため羽毛に空気を入れてふっくらと愛らしい姿になる

 

ーかーわーいーい! 全国にいる鳥なんですか?

 

北海道だけ。顔に黒い帯がある「エナガ」は全国にいるんですよ。シマエナガは真っ白。実は全道どこでも、それこそ札幌の大通公園にもいるんですけど、ピャピャッて移動しちゃうので簡単には撮影ができない。普通は餌付けできない鳥なんだけど、うちでは偶然20年くらい前から庭で餌付けできちゃって。それが世代を超えてずーっと来ているんですよね。それで、うちの庭では簡単に撮影できるもんだから、お客さんが集まるようになって。

 

ー鳥を追うお客さんで賑わう時期が宿の繁忙期ということですね。

 

小さい宿が単に観光だけで食べていくのはなかなか大変で。何か特徴を出しいていかないと。

 

ーでもシマエナガは偶然だったんですよね。

 

全くの偶然。いつも庭にいるよねってところからはじまってるから。僕は餌付けがそんなに難しい鳥だって知らなかったんですよ。それが口コミで広まって。プロのカメラマンもシマエナガの撮影でうちに泊まり込んで、それで写真集を出したりしていました。

 

ーじゃあ思いがけずウリができたということですね。

 

元々自分も野鳥が好きで写真を撮ったりしていましたけどね。シマエナガがきっかけでガイドをしてくれませんかっていう人が増えてきてガイド業もすることになった。あくまでも宿泊した人向けだけど、自分がいままで撮ったり観察しに行ってた場所がいろいろあるので、そこを紹介しています。 

-ブログで

ー11月には休館の時期がありますが、そのお休みが終わったら繁忙期ですね。

 

11月はちょっと旅行に行ったりしますけど、帰ってきてお客さんが来るまでの時期はほとんど家にいないですね。ガイドの仕込みをしないといけないから。

 

ブログでは橘さんが撮影した動物や風景の写真を見ることができる。「お客さんが、これなら自分の方がうまくとれるぞっていう写真を載せています(笑)」。

 

ー「何が見られるか」を探しておくということですか?

 

これが結構大変なんですよ。遠くは野付半島とか霧多布までエリアにしているので。お客さんはガイドって当日案内するだけだと思っていると思いますが、実質2日稼動しているようなものです(笑)。自分が好きだからできるっていう部分もありますね。あとは仲間と情報交換したり。…でも誰を仲間にするかが難しくてね。鳥を見られる場所がわーっと広まって人が集まるようになると、鳥はそこで繁殖できなくなっちゃう。

 

ーそうですね。

 

自然を壊して、それで金稼ぎをするのはガイドじゃないでしょう。たとえば、うちで紹介しているクマゲラの穴は全部自分で見つけたものなんですけど、お客さんには迷彩服を用意してきてくださいって言ってます。鳥から隠れるためじゃない。人から隠れるんです。派手な服をきて、大きいレンズを持って歩いていたら人が集まってきちゃう。そうしたら鳥はその巣を放棄してしまいますから。

 

ー確かにそうですね。しかし、そんなに野鳥目当ての人が集まる宿だったとは…宿をはじめたときの思惑とはだいぶ違う方向に行ったんじゃないですか?

 

ガイドをやるとは思っていなかったね(笑)。でもまぁ自然が好きで、自然の中にいると楽しいっていう枠の中には収まっているかなって感じです。

 

年上の仲間に教えられ

広がったアウトドアの世界

 

ー橘さんはほかにも釣り、自転車、カメラと趣味がたくさんありますよね。

 

どれも中学生くらいからやってたね。でも単独の趣味というよりは、釣りとカメラ、みたいな感じで。釣りも最初は山歩きがメインで、山を歩きながら渓流で釣りをするような山の中の遊びのひとつとしてはじめました。

 

ーご出身はどちらなんですか?

 

東京です。

 

ーどのあたりで山歩きをしていたんですか?

 

最初は奥多摩ですよね。中学生のお小遣いで電車に乗って行ける範囲です。高校時代に通っていた登山用品店の店員たちが、当時最先端のアウトドア遊びに敏感で、日本に入ってきたばかりのフライフィッシングだとか、ロッククライミングのフリークライミングをすでにはじめていて。僕より少し上の世代、いまでいう団塊の世代に当たる人たちで、彼らに連れられて色々やってました。

 

ー自転車は移動手段という感じだったんですか?

 

今はロードバイクが主流だけど、僕らの時代はどっちかというと旅行用の自転車。鉄のフレームの古いタイプの自転車ですね。今でもオフの時はそれで旅行に行きます。

 

ー重くないんですか?

 

重いけど旅行用としては丈夫だし、長距離乗っても疲れないですね。

 

ー鉄製だと疲れないんですか?

 

材質のバネ性の問題ですね。東叡社(とうえいしゃ)っていう老舗のオーダーメイドの自転車に高校のときから乗っています。いま注文したら2、3年待ちだけど、自分の体に合わせて作っているし、荷物も載せやすいんですよ。これは2011年に作ったもの。玄関に置いておくと、僕ぐらいの年で昔自転車に乗っていた人は「オッ!」てなる(笑)。もうその会社がなくなっていると思っていた人もいて。うちで何台売ったかな(笑)。

 

中央でパーツを外し分解して輪行もできる愛車

 

ー影の代理店ですね(笑)

 

紹介料なしで紹介するだけね(笑)。本当に偶然なんだけど、その会社の人がうちの釣りのお客さんだったこともあってね。

 

ーすごい偶然ですね! 自転車の旅はどのあたりに行くんですか?

 

僕の場合は車に自転車を積んでいっておいしいところだけ自転車で走るっていうスタイルです。去年の春は長崎の壱岐まで行ったんだけど、福岡までは車に積んで行って島の中を自転車でまわってきました。

 

ー中学高校時代からずっと趣味が続いているんですね。

 

いや、自転車なんかは北海道に移住するときに1度やめちゃったんです。北海道は乗れる期間が短いし、夏は宿の仕事が忙しくて乗れないだろうと思って全部売っちゃった。それで10年くらいは乗ってなかったんですが、自転車で来るお客さんが結構いて。それを見ているうちにやっぱり乗りたいなと思って徐々に再開しました。あと、年を取ってきたこともあって、せっかく北海道に移住してきたのに夏が忙しいとあんまり好きなことができないのもつまらないなぁと思って。最近は冬が忙しいので夏は無理をしないで休みを入れて自転車に乗ったり釣りをしたりしています。

 

共有の場での交流は大事にしつつ

個室中心のとほ宿を開業

 

ーそうやって昔からアウトドア派だった橘さんが、どうして宿を開業することになったんですか?

 

いつかいなか暮らしをしたいっていうのがずーっとあって。…親父が亡くなったのが1番のきっかけだったのかな。家を維持するのも大変なんで、実家を売って。東京での仕事はそれを機に全部たたんで。売れるものは売って、車に積めるものは全部積んで北海道に来ました。

 

ー北海道で宿をやるため、ですか?

 

僕、雑誌のライターをしていたんですよ。当時1990年代前半でネットどころか携帯もない時代でしょ。北海道で同じ仕事をするのが難しくて。だから、宿をやりたくて、というよりは、いなかで暮らすには宿を開くぐらいしか手段がなかったんです。ネットの時代になってからは、地方で雑誌の仕事ができる人が増えてきていいなって思います(笑)。

 

ーでも東京でのお仕事といなか暮らしをはかりにかけたときに、いなか暮らしが勝っちゃったってことですよね?

 

そうですね…。主に医学雑誌とか料理雑誌の仕事をやってたんだけど…、仕事自体はおもしろかったんです。おもしろかったんだけど…署名原稿で作家になるのとはまたちょっと違っていたし。ずっと続ける仕事かなとは思ってましたね。

 

ーお仕事はどこかに属していたんですか?

 

フリーです。取材と書くのがメインで、たまにインタビューのモノクロ写真だったら自分で撮っちゃうくらいな感じで、写真の趣味が生かせてました。とほネットワークができたときに「とほ」本の担当をしていたのは僕なんです。編集経験者ではないんですけど、本作りのシステムはわかっていたので、おまえやれって話になって。

 

ー20年くらい前の話ですね。

 

そうですね。「とほ」の営業までやってましたから。自分の旅行ついでに本州のジュンク堂とかに行って「すいません、本を置いてください」って(笑)。それを見た他の宿主が帰省するときに営業してくれたり。最初はそうやって「とほ」を置いてくれる書店を増やしてました。懐かしいですね。

 

ー久しぶりに次号どうですか!

 

いやーもういいかな(笑)。

 

ーはは。仕事を含め身のまわりの整理をして車に荷物を積んで。そのとき行き先は北海道と決まっていたんですか?

 

決まっていましたね。それまでも旅はよくしていましたが、北海道には人を受け入れてくれるような大らかさがあるように感じていたのかな。1992〜93年にかけて、とほ宿を使って道内をあちこち見てまわって。たぶん、とほ宿の半分くらいには泊まったんじゃないかと思います。

 

ー当時は100軒くらいありましたよね。

 

うん、多かった。まわっているうちに、こういうスタイルの宿なら自分にもできるかもしれないなと思って。ただ、宿をはじめようと思った時点で、ほかの宿主とは考え方がちょっと違っていたんだけどね。すでに最初の「とほ」本発行から時間が経っていて、昔はひとり旅をしていた人が、結婚して子どももいるっていう状況になっていた。だから今後は個室が主になるんじゃないかと思っていた。

 

ーほとんどのとほ宿が相部屋メインですからね。

 

僕はあんまり相部屋にはこだわっていないんです。うちの宿のリビングみたいなパブリックスペースで、泊まり合わせた人同士に宿主が加わって話すっていうのが一番大事で、宿泊は個室でもいいんじゃないかと。昔とほを使ってひとり旅をしていたお客さんが、家族を連れてきても大丈夫な宿にする、というのは最初から考えていました。これは宿主によって考え方が違うと思うんだけどね。

 

鱒やでは2〜3人部屋が主。リビングとして使える空間は1階と2階にある

 

ー確かに、相部屋こそがとほ宿の特徴、という方もいるかもしれません。

 

うちは宿泊の料金もほかのとほ宿より高く設定し続けていますけど、それはうちが個室のお客さんを基本にしているから。個室のお客さんが納得するサービスをその値段で提供して、相部屋の人にはそれを割り引いて提供するという考えなんです。相部屋は1000円引きですけど、それでも個室利用を希望する人の方が断然多いですね。昔は相部屋でもよかったけど、年を取っていまは個室の方が…という人もいます。

 

ーこの場所はどうやって見つけたんですか?

 

すぐそこが釧路川なんですけど、上流からカヌーで下ってきたらここに屋根の落ちた廃屋が建っていて、「あ、ここいいじゃん」って。登記所に行って土地の持ち主を探して直接交渉して、「ちょうだい」って(笑)。

 

ーで「いいよ」って?(笑)

 

もちろん、最初は時間がかかりましたけどね。

 

ーじゃあ割とスムーズに建物を建てられたんですか?

 

いや、色々と問題はありましたよ。うちに入ってくる道が、原野商法で細かく売られてしまっていたので、所有していた人のところを1軒1軒訪ねて行って交渉したり。

 

ーそれは大変でしたね! 建物はアメリカ直輸入のものですが、宿をやるにあたって建物のイメージも何かあったんですか?

 

当時円高だったということもありますが、輸入住宅って高級なのもあるけど、意外に安いのもあるんです。とほ宿をまわっているときに、そういう手もあるのかと。自分でやれるところはやって、大工さんにも交渉して。当時大工さんは、冬は仕事がなくて失業保険をもらうか本州に出稼ぎに行くしかなかったんです。でもここなら冬に建てられるはずだと思ったんです。

 

ーそれは雪の量を見てですか?

 

そうですね、あとは天気。道東は天気がいいですから。秋の間に基礎さえできていれば冬の間に作業を進められるはずだって相談したら、大工さんが、冬の間出稼ぎに行かなくてすむから安くするって言ってくれて。

 

鱒やと言えば、この大窓のあるリビング。真冬でも日がさんさんと降り注ぎ、晴れた日の日中はストーブいらずだとか

 

ーじゃあ春には完成したんですか?

 

そう。10月に基礎だけつくっておいて、材料がアメリカから届いたのが12月。94年のゴールデンウィークにはオープンしました。

 

ー当時お料理も橘さんが担当していたんですよね。

 

それも料理雑誌で仕事をしていた「門前の小僧」で(笑)。東京で仕事をしていた時はひとり者のライター仲間でマンションを借りて共同事務所にしていたんですが、夜になるとそこで飲む機会が多かったんですよ。そのときに取材先で覚えてきた料理を作ったりして遊んでました。とほ宿を徒歩徒歩そういうてもあるのかとそうい、

 

ーそのときの経験が生きましたね!

 

あと食材に関して言えば、うちの宿で出しているサケは釧路の漁協で1年分買い付けたものなんです。普段は漁協の冷凍庫に置かせてもらって、釧路に行ったついでに必要な分だけ出してもらってます。

 

ー秋に1年分を買い付けているんですか?

 

トキシラズ(産卵前の脂ののったサケ)なので、買い付けるのは6月ですね。

 

ートキシラズを1年中食べられるんですね!

 

1年中出せますね(笑)。食事全般、素材にはいいものを使っているかな。うちは魚料理が多いです。僕が好きっていうのと、地域の特性を出しやすいんでね。

 

ーそして宿名が「鱒や」。

 

これもね、こじゃれた横文字にしたくないっていうのがあって(笑)。

 

ーはは。

 

でも「Trout inn」が元なんです。日本では「釣魚大全」というタイトルで知られている400年くらい前にイギリスで書かれた有名な本があるんですけど、その中でTrout innを「鱒屋旅館」って訳している。そこから取っています。わかる人にはわかる(笑)。

 

ーご自分でマスを釣るからなのかと思いました。

 

お客さんの交流の場として一番大事に考えているリビング。フライフィッシングのフライを巻くスペースも完備

 

うちは釣りの中でもフライフィッシングをしているんですけど、その対象になるのがサケ、マスの類いなんです。だからこちらにも、もちろんかけています。

 

ーで、いまやその「鱒や」の一番多いお客さんが野鳥ファン…。

 

はは、宿屋業ってそういうのが一番おもしろい。いろんなものがつながってくるわけですよね、いろんな人が来るものだから。僕は魚とか漁業に関してはかなり興味があるんだけども、この間、漁師さんがうちに泊まりに来たんですよ。屈斜路湖で釣りがしたいって。

 

ー漁師さんが釣り(笑)⁉︎

 

そうそう(笑)。で釣りのポイントを教えてあげて、その代わり漁のことをいろいろ聞いて。

 

ーまだ新しく聞くことがあるんですか?

 

いくらでもありますよ、知らないこと! 好奇心を満たしてもらうのが本当に楽しくて。

 

ー好奇心を満たしてくれるのは…。

 

お客さんたちですよね。宿屋っていいですよ、おもしろい人が向こうから来てくれるんだから。20年くらいつきあいのあるお客さんは、お客さんでもあるけど友人っていうか。そういうつながりになっている人もいる。

 

ー共通の趣味がある人が集まるからお客さんから友人になりやすいのかもしれませんね。

 

11月の休館のときに旅行を少しするんですけど、その時期本州は釣りのオフシーズンなので自転車乗りのお客さんたちと一緒に走ろうぜ、みたいなことになる。4月ころの休館のときに旅行に行くと、今度は釣りのお客さんが一緒に釣りに行こうぜって。同じ趣味の遊びをしながら飲む人が全国あちこちにいるっていうのもすごく楽しいことですよね。

 

2019.2.5

 

 

 

 

The TROUT inn 鱒や

The TROUT inn 鱒や

〒088-3332
川上郡弟子屈町札友内
TEL 015-482-5489

鱒やホームページ

次回(2/19予定)は「ボンズホーム」小川佳彦さんです。

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