「近隣を案内するためにも
好奇心は常に持っていたい」
ましゅまろ
山野勝治さん | 大阪府出身。1992年宿開業。北海道で知り合った同郷の春代さんと開業の翌年結婚。バイクや自転車、カヌー、釣り、写真など「広く浅く」な趣味を経て、最近では時間のある時にピアノに向かっている。夜のお茶の時間には「趣味というか、北海道に住んだらやってみたかった」という手作りのスモークサーモンを提供 |
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北海道旅行をきっかけにとほ宿を知り、自分ではじめようと物件を探していた中で出会ったのが弟子屈町の宿。その宿主から宿運営のノウハウを教えてもらい27年前に2代目宿主となった。「摩周をまわろう」を略した宿名そのままに車で15分の摩周湖はもちろん、道東各所へのアクセスも良く、自身も周辺の自然を楽しんでいる。中標津町からスタートする71.4kmのロングトレイル「北根室ランチウェイ」の終点、JR美留和駅から徒歩5分。
とほ宿主たちの姿に刺激され
自身も開業を決意
―「トシカの宿」で歴代ヘルパーさんがコメントを書いているノートを見ていたら山野さんのお名前があってびっくりしましたよ!
山野
はは、そうなんです。仕事を辞めてから宿をはじめるまで1年あったんですが、その時夏はトシカさんでお世話になって。冬はニセコのペンションで働いていました。
―山野さんは「ましゅまろ」の2代目の宿主ですよね。
山野
私は1992年からはじめて今年で27年目なんですけど、前の宿主が5年間やってられて。それを譲り受けた形になるんですよね。だから「ましゅまろ」としては32年です。
―先代の時に泊まりに来たことはあったんですか?
山野
1、2回は来ていますけど、常連っていう感じではなかったです。
ー以前は何をされていたんですか?
山野
10年近く郵便局員をやってました。宿をやりたいな、と思って仕事を辞めて道東で物件を探していたらたまたまここが売りに出ていた…という。居抜きですね。
―安定した職を、まだどこで宿をやるかも決める前に辞めてしまってたんですね?
山野
そうですね。若気の至りでしょうね(笑)。
―宿業についてはトシカの宿でのヘルパーや、ペンションでのお仕事で学んだという感じですか?
山野
そうですね。あとここを譲り受けた時に1か月くらい前の宿主と一緒に働いて、料理とか宿経営のノウハウを教わってそれで出来上がっていった感じです。
―まさに譲り受けたという感じですね。

メニューは先代時代からのものもいくつかあり、ポテトグラタン(左上)もそのうちのひとつ
山野
だから、「場所を見つけるのに苦労した」とか、「お客さんが来てくれるようになるまで大変だった」とか…そういう「物語」がないんですよ(笑)。前の人が5年宿をやっていたので、お客さんもそこそこ付いてくれていたし。むしろ今よりいたくらい。バイクブームだったから。まぁ最初からたくさん来たからしんどかったっていうのはありますけどね。
―うれしい悲鳴ですね。開業時にはもうご結婚されていたんですか?
山野
いや、宿をはじめた翌年の4月に結婚しました。
―山野さんも春代さんもご出身は大阪でしたよね。春代さんは北海道、そして宿業ということに関しては特に異論はなかったんですか?
山野
私は宿をやりたいっていう方が強かったんだけど、かみさんのほうは北海道に住みたいって。
春代
こっちに来たら働かなくていいはずやったんやけどな…(笑)。

結婚前は国鉄の周遊券を使って「しょっちゅう」北海道に来ていたという春代さん。夏は時間があれば近隣の山へ。手仕事好きで、館内には手づくりの品があちこちに飾られている
―山野さんは北海道へはどういうきっかけで来るようになったんですか?
山野
最初はバイクブームですよね。道を見たらバイクに乗っている人がいる、みたいな。それで乗ってみたいなって極自然に思うようになって。バイクに乗りはじめたら北海道に行ってみたいなって。そういう単純な思考で(笑)。もうバイクを手放して20年くらいになりますけど、バイクで走ると北海道の魅力がまた違うように感じられるんですよ。
―どんなところが魅力だと思っていたんですか?
山野
やっぱり広さでしょうね。信号が少なくて風景も日本離れしているというか。屋根が瓦じゃないとか、そういうひとつひとつが新鮮。あとバイクだと匂いとか空気の違いがわかるじゃないですか。漁師町と酪農の町では匂いが違うし、紋別に行ったらカニ臭いなとか。
―ほんとですか(笑)。
山野
はは。そういうのがおもしろかったですね。で北海道をまわっている時に、こういう旅人宿があるんだって知って。だからバイクに乗っていなかったら北海道にも住んでなかったし、こういう仕事もしていなかったでしょうね。
―とほ宿のことはどうやって知ったんですか?
山野
道端の看板だったかな(笑)。はじめて北海道に来て2日目だったと思うけど、その日の宿のことを何も考えてなくて。どうしようっていう時に看板があった。それで最初に泊まったのが「トシカの宿」なんですよ。
―そうでしたか! はじめて「トシカの宿」に泊まってから宿をはじめるまでは…。
山野
5年くらいですね。
―その間、北海道にはいつも夏に来ていたんですか?
山野
夏と冬に。冬は国鉄の周遊券を使っていました。
―最初はバイクに乗りたいな、からはじまって、バイクに乗ったら北海道に行きたくなって。それから冬に列車で北海道をまわるようになったということは最終的にはバイクは関係なく「北海道に行きたいな」になっていったんでしょうか。
山野
そうですね。やっぱり夏に来たら冬も見てみたいなって。夏は道北、冬は道東に行くことが多かったですね。当時は北海道にお客さんが多い時代でもあったんです。もうすぐ青函連絡船がなくなるとか国鉄が民営化されるということで、その前に、と。
―1980年代後半ですね。宿の場所は道東で探していたとおっしゃいましたが、その中でどこかに絞っていたんですか? 道東と言ってもかなり範囲が広いですよね。
山野
釧路・根室地方あたりかな。見るところも結構あるし、自分自身がこの辺を気に入っていたから。あと雪もそんなに多くなかったので、暮らすのもそれほどつらくないかなって。
ー寒さは厳しいですけど、雪の量はほかの地域に比べたら少なめではありますね。
山野
それに、それほど派手に開発されていないというか。湿原は湿原のままであるし、タンチョウもいたりして。そういうところがおもしろいなと思いましたね。
ー旅人宿のどの辺に魅力を感じて自分でも宿をやりたいと思うようになったんですか?
山野
泊まったとほ宿の宿主がおもしろそうにやってたのが魅力的だったなぁっていうのはありますね。言い方は悪いけど「こういう風におもしろおかしく暮らしていけたらなぁ」って(笑)。
―じゃあ宿業というよりも宿主のみなさんの生き方みたいなところに魅力を感じたということでしょうか。
山野
自分にとって理想的な環境で暮らして、それでもうかったら言うことないなって。
―そうですよ~。

漫研出身の春代さんのイラストで、宿や近隣の近況を伝える「ましゅまろ通信」。全4ページで、開業時から連泊者に年に2回郵送
山野
でもそんなうまいこと行かない(笑)。シーズンオフというものがあるので、想像以上にもうからない仕事だったかな。
―はは。
道東エリアの観光拠点として
便利な立地を自身も満喫
ー「ましゅまろ」という宿名を変更しようとはしなかったんですか?
山野
はい。92年の7月31日まで前のオーナーさん、8月1日から私が宿主になったんですけど、連泊してるお客さんはいるし、ヘルパーさんも同じ人。シーズン真っ最中だったこともあり、名前を変えると混乱してしまうのではということでそのままにしました。
―ああ、確かに。
山野
ひと言で言うと看板をつけ直すのが面倒だったということです(笑)。
―はは。
山野
「ましゅまろ」という名前は私にはかわいすぎるという意見もありましたが、摩周湖も連想させるので、そのままでいいかなと。
―あはは。でも「摩周をまわろう」を略して「ましゅまろ」ですもんね。摩周湖は車で15分くらいで本当に近いですが、道東エリアの観光にも便利な場所ですよね。
山野
知床とか釧路湿原とか道東の主だった観光地は1時間から1時間半くらいで行けるので荷物を置いて連泊する方が多いですね。

最寄りの釧網本線美留和駅。車掌車を利用した駅舎
―北根室ランチウェイの終点になっているJR美留和駅から徒歩5分ですが、山野さんはコースの整備にも関わったそうですね。ご自身もアウトドアスポーツはされるんですか?
山野
バイクに乗っていた時はほとんど興味なかったけど、ここに住みはじめてから山に登りはじめましたね。近くにこんないい山があるんだっていうのを知るとやっぱりここに住んでてよかったなと思います。
―宿業をやっているとあまり旅はできないのかなと思いますが。
山野
お客さんの話を聞いて自分も旅をしているような気分になっているというか。
春代
この辺は便利なんで、チェックアウトの後にちょこっと出かけたりとか。
山野
今日は天気がいいから小清水の原生花園に行って来ようとか。予約が入ってないから霧多布に行ってみようとか。お客さんが入ってない時に宿に残ってもやもやするより、どこかに出かけた方がね。うちはツアーはほとんどやってないんですが、そうやって自分が行ったり登ったりしてアドバイスするっていう感じです。
―実際に足を運んでのアドバイスが旅人としても一番ありがたい!
山野
そういう時間の使い方ができるようになりました。このあたりって土曜に人がいないんですよ。基本的に金曜にフェリーに乗って土曜に苫小牧とか小樽に着く人が多いのでまだ弟子屈まで来ない。この辺にいた人も金曜くらいには帰っちゃうので土曜の夜はお客さんがいないことが多いんですよね。だから日曜の朝は早く起きて山登りに行ったり。まるでサラリーマンのような(笑)。
―はは。

ちょっと臆病な愛犬エルちゃん。ドッグランを、と計画していたこともあるが…
山野
あと、2人とももう若くないので、行きたい時に行きたい所に行くようにしているんですよね。少し宿を閉めてでも。これまで7~9月の山登りにいい時期は宿も忙しいから動きづらかったんだけど、去年くらいから少し宿を閉めて大雪山周辺にも登りに行くようになりました。
春代
去年は7月にぽっかり3日予約がない日があって、天気予報を見たら晴れ。それで急だったけど大雪に2人で行って。花もきれいだったし、ラッキーだったよね。
―そうやって、行きたいと思った時には行くようにしている、と。
山野
仕事ばかりしていると煮詰まってしまうし。
―確かに。気分転換が宿業にも還元できるし。
山野
まぁ宿ではくつろいでもらえるのが一番かなと思ってお客さんを迎えているんですけどね。お客さんの旅はやっぱり昼間が主役だと思うんですよね。だから、昼間を楽しめるように夜くつろげる環境を提供するというか。
―「昼間が主役」…。なるほど。
山野
だからできるだけ私たちも自分で行って得た情報をお客さんに提供する。自分が行っておもしろかったところ、おいしかったところ。そのためにも自分自身が好奇心を常に持っていたいと思うんですよね。
―そうですね。
山野
あと、「あんなところに行ってもつまんないよ」というようなことは言わないようにしようと思っているんです。摩周湖って、夏の観光シーズンは見えないことが多いんですよ。太平洋から湿った空気がやってきて摩周湖、屈斜路湖で冷やされて雲になるので。でもはじめて来た人はもう二度と来ないかもしれない。そうしたらその人にとっては真っ白で何も見えなかった摩周湖がその人にとっての摩周湖なんですよ。
―確かに。狙って行った名物、名所が見られなかったにも関わらず、強く印象に残っている所が私もありますね。
山野
だからやっぱりとりあえず行ってもらう。それにもしかしたら突然風がぴゅーって吹いていきなり湖面が見えるようになるかもしれない。それはそれで感動やから。今はライブカメラがあって、湖面が見えるかどうか行く前に確認できるんだけど、たとえカメラに真っ白に映っていたとしても「こんなだから行かないほうがいいですよ」とは言わないようにしてます。
―摩周湖には婚期に関するジンクスがありますよね。
山野
「はじめて摩周湖に行ってすっきり見えたら婚期が3年遅れる」って。
―私はじめて行った時に快晴できれいに見えたんです…(笑)。
山野
はは。いろんな説があって、裏摩周まで見えたら相殺されるとか。観光シーズンに見えないことが多いので、「見えなくてよかったですね」っていう慰めに使っているんですよ。
―はは、なるほど。
山野
夜の摩周湖もいいんですよ。
春代
晴れていると月の光が湖面に映ってキラキラ見えるんです。下に霧がたまっていてもきれいですよ。

宿から徒歩5分の場所には摩周湖の伏流水が湧き出ている
―夜の雲海ですね。いいなぁ。このあたりで一番のおすすめと言ったらやはり摩周湖ですか。
山野
あと美幌峠かな。特に美幌町のほうから国道243号を上がってくると、下に屈斜路カルデラがわーっと広がる感じ。あれはいつ見てもすごいなと思います。
春代
ちょっとだけ散策したいときは川湯温泉の遊歩道(つつじケ原自然探勝路)もいいですよ。
―行きたい場所がいっぱいありますね!
山野
そうですね。でも北海道に住みたいという思いだけで移住してきてほかの仕事をしていたら、退屈でもう帰っていたかもしれません。宿業だからお客さんが入れ代わり立ち代わり来てくれる。それで退屈せずに27年間やってこれたのかなっていうのはありますね。
―そもそも宿をはじめた理由ががおもしろおかしく暮らせたらってことでしたから…。
山野
そうそう、もうけるためにやってないから。27年やれてきただけラッキーかな。
2019.9.3
文・市村雅代