「好きなことだから
プレッシャーはあっても
ストレスにはなりにくい」
なかふらの民宿 きたぼし
宮澤敏之さん | 東京都出身。高校卒業後、宿のヘルパーをしながら東南アジアをまわっていた時期あり。「トラブルとハプニングの境界線を楽しんでいた気がします」。1996年宿開業。宿業と並行して子どもの学校のPTAなど地域の活動には積極的に取り組んできた。現在は地域住民の共通の関心事である防災に特に興味がある。 |
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小学生の時からの料理好き。旅好きで宿で働いた経験があったことから宿開業を思い立ち十勝岳連峰を正面に望む絶景地を手に入れた。ハムの加工場で働いたことをきっかけに、それまで趣味だったハム・ベーコン作りを本格的に行うようになり、朝食等で提供している。希望者がいれば白金温泉や近隣の温泉へのツアーを実施。ラベンダー畑で知られるファーム富田は徒歩10分。
家業を通じての経験から
自分の好きな道を進むと決意
―富良野岳が真正面に! 最高の眺めですね。
宮澤
この景色が気に入って、ここを買ったんです。
―テラスはご自分で作られたものですよね。
宮澤
はい。木工と料理は好きですね。

肉料理と魚料理が付くボリューム満点の夕食。この日は上富良野町産の豚肉のピカタにサケのソテー。毎日食事の支度には昼過ぎから取り掛かるそう
―夕食はボリューム満点でした!
宮澤
ボリュームが少ないのが嫌なんですよ(笑)。隣町の上富良野町は、実は養豚が盛んなので、その肉を使ったり。シーズン中の野菜はもちろん、お米も地元産を使っています。
ー豚肉と言えば、ハムやベーコンまで手作りしているとお聞きしています。お料理はいつごろからはじめたんですか?
宮澤
小学生の時かな。
―え! お手伝いでですか?
宮澤
目玉焼きとかインスタントラーメン作ったりとか、その程度ですが自分で勝手に好きなものを作っていました。小学生の時の将来の夢は「中華料理屋さん」です。
ー中華に絞っていたのがすごい。
宮澤
近所の中華料理屋さんの料理が好きだったんじゃないかな(笑)。
―ご出身はどちらなんですか?
宮澤
東京です。
―料理屋さんではなく(笑)、宿をはじめることになったのはなぜなんですか?
宮澤
旅が好きで北海道を旅行していて、宿の仕事を手伝っていたら…いずれは自分でっていう話になるじゃないですか(笑)。
―はは。旅をしていたのはいつ頃なんですか?
宮澤
鉄道好きな友達がいたので、中学時代から彼と鉄道の旅はしていました。あと、水戸まで自転車で行ったこともあったな。はじめての北海道は高校1年の夏休み。友達と2人で原付バイクで。免許を取って数か月で来ちゃった。今考えると無謀なんだけど。
―バイク好きだったんですか?
宮澤
うーん、バイクは旅の手段ですね。旅がしたかったんだと思います。当時は東京湾から苫小牧行きのフェリーが出ていたので、それで北海道まで来て。2週間くらいかけて道内を1周したんじゃなかったかな。で、カルチャーショックを受けたというか、魅了されたと言うか。
―どういうところにですか?
宮澤
日本離れしたスケール感に、ですね。それ以降はひとりで北海道に通うようになりました。高校2年の時に250㏄のバイクを買ったので、夏はバイク、冬はJRで。
―冬はどの辺に行かれていたんですか?
宮澤
北海道の冬の三白(さんぱく)ってあるじゃないですか。流氷、ハクチョウ、タンチョウ。それを見に行くベタなパターンです(笑)。
―じゃあ主に道東方面に行かれていたんですかね。
宮澤
いや、あちこち行きましたね。積丹にあったユースホステルが拠点みたいになっていたんです。
―「積丹ブルー」と呼ばれるきれいな海があるので夏はわかりますが、冬もですか?
宮澤
夏の積丹が気に入って冬も通うようになったんですよ。高校卒業後、1年間は実家の仕事を手伝っていたんですけど、その後その積丹のユースのヘルパーを1年やって。本当はそのあと実家に帰る予定だったんですけど、帰れないな…いや、帰りたくないなと思って。その頃に漠然と、宿をやりたいなとは思ってました。できるできないは別として。
―ご実家のお仕事を継ぐというお話はなかったんですか?
宮澤
ありましたよ。だから、まぁ無理やり北海道に来ちゃったんですけどね。…実家は葬儀専門の花屋をやっていたんです。働いていた1年の間に多い時は1日に2回とか、本当にたくさんのお葬式に仕事で行って亡くなった方を見て。それで生きている間に好きなことをしないとだめだって思ったんです。
―そうだったんですね。それが宿業だったんですか?
宮澤
宿屋の仕事も1年間スタッフとして働くくらいですから好きではあったんですけど、基本的にうちの仕事をしたくなかったんです。…だからどちらが本当の理由だったのか正直わからないです。
―宿をやりたい気持ちと家業を継ぎたくない気持ちのどちらが勝っていたのか。プラスの理由か、マイナスの理由かは…。
宮澤
なんとも…。微妙ですね(笑)。
―はは。じゃあそのまま帰らずに北海道に残って。
宮澤
夏は陸別にあったとほ宿で働いて。お金も貯めたかったんですが、宿の仕事は寝る場所と食事は提供してもらえましたけど実質無給だったんで、冬の6か月は東京の車の製造工場で働いてっていう生活になりました。実家の近くに出稼ぎに(笑)。半年働いて100万くらい貯金できていたと思います。
―それをどれくらいやっていたんですか?
宮澤
4、5年ですかね。その合間に札幌の職業訓練校の建築科にも通っていました。自分で家を建てたいと思って。
―好きなことをしながらお金も貯めていたんですね。
宮澤
その後は少し余裕が出てきて、海外に出かけるようになったんですよね。安い航空券を買ってタイとかマレーシア、シンガポール、インドあたりに行ってました。当時1ドルが80円くらいでとても円高だったんで5万もあれば十分1か月暮らせたくらい。それで、2か月くらい海外で過ごして残りの4か月を宿で働いて、半年は出稼ぎに行くという生活を3年くらい。で、27か28歳くらいの時にここの土地を買ったんです。でも土地を買ったら手持ちの資金が尽きるわけですよ(笑)。
―あはは。建物はどうしたんですか?
宮澤
もう土地は買っちゃったからやるしかないでしょ(笑)。お金をがっつり貯めなければいけないと思って、それまで続けてきた生活を1回リセットして、東京の運送屋さんで働いたんです。3年くらい。土地を買うと腹が据わりますよね。
―その間も、夏は宿の仕事をしに北海道に来ていたんですか?
宮澤
その時は東京でずっと働いていました。でそうやって貯めたお金と、買った土地を担保に融資してもらったお金でこの建物を建てて、宿屋をはじめたのが32歳の時かな。
―富良野エリアを選んだのはどうしてなんですか?

談話室から自作のテラス越しに見る十勝岳連峰。雲の流れを見ているだけでも見飽きない景色
宮澤
場所を探す時に、お世話になった宿がある場所は仁義として避けようということで道東エリアは外して。北海道だから冬寒いのはしょうがない。でも夏がちゃんと暑くなるところでやりたいなと思ってこの辺、特に富良野線沿線で探していたんです。当時美瑛がグッと伸びていた時代で、少し美瑛も見たんですけどあんまりピンと来なくて。たまたま紹介されたここの景色が気に入って買うことにしたんです。
―自分の家を自分で建てるのが夢だったとおっしゃっていましたが、この建物は?
宮澤
結局建設会社にお願いしました。すべて自己資金ならともかく、お金を借りて建てたので1日でも早く営業したかったんです。
ーそうですよね、営業しないと返済するためのお金ができない…。
宮澤
最近は手狭になってきたので、ここを全部自宅にして別に建物を、と考えないではないんですけど…。宿の前にあるプライベートで使っている小屋は自分で建てたんですけど、なんだかんだ言って3年くらいかかってますからね。全部自己資金でできたからああでもないこうでもないってのんびりやってましたけど。毎年来てくれているお客さんも、最初は「これ絶対に建たないだろうって思った」って。家をまるごと建てるのは楽しそうなんだけど、宝くじが当たったら、かな(笑)。
地域住民共通の関心事に着目。
10年先を見据えて勉強中
―旅好きで、中学時代からあちこちに行かれていたということですが、宿をはじめてからは旅行に行けていますか?
宮澤
いや、とんとご無沙汰しちゃってますね。外国にも行けていないですし。でもそういう欲求も少し減っているのかもしれないです。「宿屋さんをやりたい」という欲求が満たされているからじゃないですかね。
―じゃあちょっと時間ができたら何をしているんですか?
宮澤
いま55歳なんですけど、会社勤めをしていたらあと10年くらいで定年じゃないですか。その後に自分だったら何をしたいか考えて、防災関係のボランティアになるための準備を少しずつ進めてます。
―宿の件もそうですが、計画的ですよね。
宮澤
目標を決めて、それにどうアプローチしていこうかって考えるタイプなんです。
―ボランティアの準備というと?
宮澤
今年、講習を受けて防災士の資格を取ったんです。地域の防災推進委員もやってます。
―防災士というのはどんな活動をする人なんですか?
宮澤
防災の啓発や実際被害があった時のボランティアセンターの運営などが主な活動になります。民間資格で、持っていたから特に…というものではないんですけど、市町村の防災担当の部署だったらこの資格をもっている人は1、2人いると思います。去年9月の北海道胆振東部地震の時、安平町にボランティアに行ったんですけど、そういう時に「防災士の資格を持っている人はいますか」って声をかけられますね。
―防災と言っても災害の種類はかなりありますよね。地震、水害…このあたりだと噴火もありますが。
宮澤
水害なども含め全部該当します。幅広いですね。
―地域の防災推進委員は何年くらい前から担当されているんですか?
宮澤
9年くらい前からですかね。防災って地域に住んでいる人すべてに関係のある話じゃないですか。この地区って移住者が多いんですよ。そういう人たちとずっと住んでいる方たちって地域に対する思いがちょっと違うんですよね。
ーそうかもしれませんね。
宮澤
地域の三大問題って、子育てと高齢化、防災。ただし、高齢化は主に地元の方の、子育ては移住してきた若い世帯の関心事項。でも防災はどちらにも関係がある。だから防災だな、と。ここには火山あるでしょ、と。

「きたぼし」は車で10分ほどの北星(ほくせい)の丘(北星スキー場)にから取った名前。「開業時の目印にもちょうどよかったことと、響きもよかったので」と
―十勝岳の麓の地域ですからね。
宮澤
何かひとたび起きれば地元の人も移住者も関係ない。みんなで相談しないといけないでしょ、防災組織が必要でしょって呼び掛けたんです。それで自主防災組織が立ち上がって、言い出しっぺなんだからってやることになったのが防災委員。3人いるうちのひとりが私です。東日本大震災が起こったこともあり、1度避難訓練は行ったんですが、それ以降活動らしい活動はできていないんですよ。それで忸怩たる思いもあって、防災士を受けようかなって。
―じゃあ防災ありきというよりも…。
宮澤
地域住民間の見えない垣根を越える術として。宿をやりながらその活動ができればいいなと思っています。
プロの技を間近で見て
ハム・ベーコン作りが本格化
ーちょっとした時間には防災関係の勉強ということでしたが、シーズンオフの冬やGW明けなどのまとまった時間がある時にはベーコンやハムを作っているとお聞きしました。いつから作っているんですか?
宮澤
本格的に作りはじめたのは6年くらい前かな。その前も個人的には作ってましたけど、宿のシーズンオフにハムの加工場に働きに行くようになってプロの技を知ったんです。
―それ以前とは全然技術が違うということですか?
宮澤
そうですね。プロは「こだわらない」んですよ。最小限の手間で最大の効果を得ようとするのがプロ。あと趣味でやってるこだわり派の人だと天然塩を使ったりしますが、プロは天然塩を使わないんです。味が変わっちゃうから。必ず冷凍した肉を使うようにもなりました。細胞壁が壊れて味が染みやすくなる。
―生物の授業みたいですね。
宮澤
はは。これも働きに行って知ったことです。その施設内には屠畜場もあったので新鮮な肉ならいくらでもあったんですけどね。あえて冷凍してから加工していました。
―宮澤さんにとってはお金以上の実益を兼ねたいい職場でしたね(笑)。宿では大体どれくらい作っているんですか?
宮澤
1回にハムはロース2本分、ベーコンは4キロくらい作っています。作りたては本当においしいんです。これを冷凍して1シーズン出しています。

肉の味がギュッと凝縮された宮澤さん自作のベーコン。朝食で食べることができる(時期によっては品切れの場合あり)
―ハムは古い書物を調べて発色をよくする方法を調べたり。「好き」の域を超えている気がするのですが…。
宮澤
はは。あれはね、加工場で使っていた材料が市販されていなくて、それに代わるものを探していたらゴボウがいいと。
―そうなんですね!
宮澤
液に漬け込む時間も含めると1週間~10日くらいかかるんですけど、煙を当てはじめたら24時間くらいつきっきり。だから忙しくない冬やGW明けに作ることが多いですね。楽しいですよ! ほかにもオニオンスープ用に玉ねぎ10キロを1日かけて炒めていることもあります。
―本当に料理がお好きなんですね。
宮澤
もちろん。いくらお客さんに出すためとは言え嫌いだったらやりませんから。ハム買ってきますから(笑)。
―じゃあ宿業いいですよね。料理を作って、作ったものを食べてくれる人もいる。
宮澤
お客様からお金をもらうのでプレッシャーはあるんですよ。でもストレスにはなりづらいですよね。それが好きなことをやっていることのいい点ですね。
―宿をはじめる前にしばらくお金を貯めている期間がありましたが、その間に宿業じゃなくてもいいかなと揺らいだことはなかったんですか?
宮澤
うーん、どうかな。料理人とか大工さんとかは今もおもしろいと思ってますよ。もし今違う職業をするとしたら食堂がいいなとは思っています。思うに…料理を提供することが私のやりたいことのコアな部分なんですよ。宿屋さんは、スタッフとしてずっとやってきたことだったので、その流れで…だったんですよね。

1泊目の夕食に出ることが多いオニオンスープ。1日かけて炒めた玉ねぎが甘い!
―じゃあ、小学校時代の「中華料理屋さん」という夢は別の形で実現したのかな。
宮澤
あ、うちでは連泊の人には中華を出すこともありますよ(笑)。マーボー豆腐、エビチリ、酢豚、チャーハン…よくあるベーシックな中華です。旅を続けていると、宿の食事に飽きてくるじゃないですか。中華はほかの宿屋さんではあんまり出していないので喜ばれます。
―宿をはじめた理由はプラスのものかマイナスのものかよくわからないとのことでしたが…。
宮澤
宿をやっていないと出会えなかった人との出会いもありますから。そう考えると、宿をやっていてよかったと思います。
2019.8.20
文・市村雅代