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とほ宿めぐり

利尻うみねこゲストハウス

「島の自然はもちろん、
文化や歴史もおもしろい」

利尻うみねこゲストハウス

西島徹さん 福岡県出身。両親が山好きで、家族の年中行事と言えば登山、という家で育つ。ドラマの影響で北海道好きになり2004年に利尻島に移り住む。2016年に鴛泊港から徒歩5分の場所に宿を開業。利尻山を見ながらビールを飲んでゴロゴロするのが最高の休日。島で知り合い結婚した妻の加奈子さんは現役の島のバスガイドでもある。

地元民が主催した利尻島のモニターツアーに参加したことをきっかけに島に通うようになり、島初上陸から6年で移住。自然ガイドなどをしていたが、島に旅人が気軽に泊まれる宿がほしいという思いから素泊まりの宿を開業した。ガイド業は現在も継続して行っており、自然ガイドに加え、「島ガイド」として島の暮らしや歴史、文化を積極的に紹介している。営業期間は5月下旬(ことしは5月29日)~10月上旬(ことしは10月3日)。

「北海道への旅」が

回を重ねるうち「利尻への旅」に

 

―ウミネコに扮してのフェリーの見送り楽しいですね! 

 

トール

旅をしていた時に、礼文島香深港でユースホステルの見送りに参加して、そして自分も見送られて。すごく感動したんです。それで、あぁこれいいなって。

 

―また来たいっていう気持ちが高まりますよね。

 

トール

そうですね、島ならではの演出ですね。

 

徒歩1分の岸壁での見送りは誰でも参加可。ぜひウミネコに扮して参加してみて!

 

―1998年にはじめて利尻島に来て2004年に移住したとお聞きしましたが、島には旅行でいらしたんですか?

 

トール

地元の人が企画した、いまで言うモニターツアーに参加したんです。友達に誘われて。「西島、行く?」「行く行く~」みたいな軽いノリで(笑)。福岡出身ですが、昔から北海道に憧れがあって。僕ら世代にありがちなんですけど、ドラマ「北の国から」を見て、北海道いいなって。主人公の純君の年齢設定がほぼ僕と同じなんですよ。小学生のころにドラマを見たんですが、同い年くらいの男の子が水や電力を自分でまかなう生活をしていて、すげーな北海道って思って。

 

―ドラマの中で、純君はそんな生活をめちゃくちゃ嫌がってましたけどね(笑)。

 

トール

嫌がってましたね、ははは。それより前に、父親が買ってきた時刻表を見て北海道ってどんなところかなって思った記憶もあります。時刻表の路線図では九州が最初に出てきて最後が北海道。自分が端っこにいて、反対側の端っこってどういうところなんだろうなぁって。小学校1年生か2年生くらいのことですね。北海道に興味を持った一番古い記憶はそれです。

 

―初の北海道上陸はいつだったんですか?

 

トール

就職して上京してからです。

 

―北海道のどちらへ?

 

トール

冬だったのでメインは網走で流氷を見ることでしたが稚内にも行ったし…。当時僕が勤めていた会社では、勤続2年目以降は1年に1回、平日に5連休取れたんです。前後の土日を足せば9連休が可能で、このときは夜行列車を駆使して道内あちこち行きました。

 

―ようやく行けた北海道。どうでした、印象は。

 

トール

すげー広いな、寒いなー(笑)。あと、ほかの季節も見たいなと思いました。

 

―それでほかの季節にも来るようになったんですか?

 

トール

そうですね。福岡から北海道ってかなり遠いじゃないですか。でも上京して、羽田から福岡と羽田から新千歳の飛行機代がほぼ同じだとふと気が付いたんですよ。だから1回帰省するお金があったら北海道に行けるじゃんって。

 

―はは、じゃあ年に1回は必ず来ていた感じですか?

 

トール

いや、1回どころではなく、年に10回くらい? 週末だけの滞在で月に2回来たこともあったし。かなり頻繁に来てましたね。上司に休暇を申請すると「今度は北に帰るのか、南に帰るのか?」って聞かれるくらい。その中のひとつが98年のモニターツアーです。山登りも好きだったんで利尻も行きたいなっていうのはあったんですよ。その時のツアーには登山はなかったんですけど、すごく天気がよくて山もきれいに見えてて。

 

―それはよかったですね。

 

トール

そのときに買って行った利尻の本に小さく冬の利尻山の写真が出ていたんですよ。青空に真っ白な山。これを見たいってそのモニターツアーのスタッフに言ったら、じゃあ冬においでよって。それで翌年の3月に行ったら真っ白な利尻山が見られたんです。

 

―すごい!

 

トール

すっごく感動しました。住んでみてわかったんですけど、あんな景色、なかなか見られないんですよ。冬は日本海の鉛色の雲に空が覆われてて、山もどこにあるかわからないくらい。だからあのときにきれいに山が見られたのは、本当にラッキーだったんだなっていまならわかります。

 

―島に呼ばれたのかもしれませんね。

 

トール

そうですね。その翌年、人生をちょっとリセットしたいなと仕事を辞めたんです。時間ができたので自転車で旅をしようかなって、福岡からフェリーを乗り継いで北海道に来たんです。利尻には1週間くらいいて山にも登ろうと思っていたんですけど…結局1か月くらいいました(笑)。

 

談話室「島時間」。玄関を入ってすぐで利尻山も見える開放的な空間

 

―はは。1か月何をしていたんですか?

 

トール

もう知り合いが結構いたので、遊んでもらったりして。それで次の年からは北海道ではなく、利尻に行く、みたいになってきたんです。

 

―だいぶ絞られてきましたね。

 

トール

2002年、2003年の夏はもうテント張りっぱなしで、そこからバイトに行ったりとか(笑)。

 

―いまは自然ガイドとしてのお仕事もされていますが、そういったお仕事ですか?

 

トール

いや、当時はお土産物屋さんの店員とかホテルの皿洗いとかですね。ただその間に礼文島で早くからネイチャーガイドをやっていた方から「やってみないか?」って言われて、じゃあやってみようかな、くらいな感じで付いて歩いてました。

 

―元々登山はお好きだったし。

 

逆さ利尻富士を見ることができる島一番のビュースポット、姫沼。9~10月中旬は冠雪した利尻山の白と広葉樹の紅葉、針葉樹の緑がパッチワークのようになった美しい景色が広がる

 

トール

でも花や木の名前は何も知らなかったので、それから勉強しました。ただ僕はまだ島に住むつもりもなくて、来年も来るんでまたよろしくお願いします、くらいな感じだったんです。

 

―じゃあ旅先でバイトをしてっていう暮らしをしばらく続けるつもりだったんですかね。

 

トール

夏は北海道に行って、冬は沖縄に行ったり。あとはちょこっと海外にも行って。お金がない時は自動車の期間工で働いたりとかもしていました。

 

―もう就職する気はなく。

 

トール

なかったですね! でもリミットは決めていました。35歳までには落ち着こうと思っていたので、猶予期間は3年か4年でしたね。

 

―それまでは、思いっきり…。

 

トール

旅しちゃえって。それでそろそろリミット、という2003年の夏のシーズンが終わるときに、島の人から「ことしの冬はどうするの」って聞かれて。半分冗談、半分本気みたいな感じで、「さすがに冬はテントは張れないんで、家が借りられたら島にいようかなー」って軽い気持ちで言ったら、家を借りられることになって。

 

―おぉ(笑)。冬は何をしていたんですか?

 

トール

特に何も…(笑)。冬の生活を楽しんでいました。借りた家に薪ストーブがあったんですよ。それで知り合いからもらった木を薪にしたり。あとはスノーシューで森の中を歩いたり。雪かきも、スタッドレスタイヤの車で運転したのもほぼ初めて。それで冬の生活もなんとかなるなと思って、明けて2004年の春に住民票を持ってきたんです。住民票を移すことで町営住宅に住めることになって。最初の家財道具はバイク1台とキャンプ道具とパソコンと…それくらいからスタートしました(笑)。

 

島に気軽に泊まれる宿を、と

港近くに旅人宿を開業

 

―そうなると腰を据えて仕事のことを考えはじめるのかなと思いますが。

 

トール

ネイチャーガイドの仕事を教えてくれた人が、利尻の仕事をまわしてくれたんです。今は利尻にもガイドはたくさんいるんですけど、当時は僕ともうひとりくらいしかいなかったんですよね。あとホテルで宿泊者向けに利尻島を紹介するスライド上映会を夜にやれないか?って声をかけてもらったり。キャンプ場の集金のアルバイトとか…ひとつひとつだと大きな収入にはならないのをいくつもいくつも…そういうのの吹き溜まりみたいな感じで(笑)。

 

―はは。…お話を伺ってると、いろいろ向こうからやって来てますよね。家住まない?とか。仕事やらない?とか。

 

トール

あー…そうですね。運がよかったですね。いい方と出会えたっていうのが移住の決め手ですかね。

 

―移住するぞ!みたいな気合で来たというよりは、流れに乗ってという印象です。

 

トール

そうですね。北海道に住みたいっていう思いはめちゃくちゃあったんですけど、空き家を探すとかがんがん仕事探すとか、そういう感じではなかったです。最初に来るきっかけになったモニターツアーで、すぐに島の方と顔見知りになれた。そのつながりが大きかったのかもしれません。

 

―宿をはじめることになったのはどういう経緯だったんですか?

 

トール

低価格で気軽に泊まれる宿が利尻にもあればいいのにってずーっと思っていたんです。実は妻も旅人宿をやりたいって思っていて。

 

カナコ

私は、出身は静岡ですけど、学生時代から利尻島によく来ていたんです。稚内を出てフェリーで島に向かうと利尻山がどんどん大きくなっていくあの感じが好きで。社会人になってからは夏は利尻島の添乗員とかバスガイドをして、冬は石垣島に行ったりしていました。

 

―島好きなんですね。

 

カナコ

そうですね。いろんな島をめぐっているうちに、住むなら利尻かなと思ったんです。海も山もあるし。

 

―お二人はどうやって知り合ったんですか?

 

トール

僕がお土産物屋さんで働いているときにバスガイドとして来たんだっけ? 12年前に結婚したんですけど、2人でこんな宿をやりたいねっていうノートをつけていたんです。気に入った宿の間取りを書いてみたり。「ウミネコ」を名前に入れるのもわりと早い段階で決まっていて。島の人だったら誰でも知っている鳥の名前を使えば、「ゴメ(カモメやウミネコの総称)の宿」とか「うみねこさん」って呼んで親しまれるかなと思って。でも自分がイチからやるのは資金がいるし、難しいなぁって行動に移せなかった。そうしたらたまたまこの建物が売りに出ていることを知って。2015年の夏ですね。前のオーナーもここで宿をやっていたので、1回泊まりに来たら部屋から利尻山が見えて。「うわーこれすっげー」って(笑)。

 

客室の窓からこの眺め! 1階の談話室「島時間」からも同様の眺めを楽しめる

 

―決め手はこの眺めだったんですか?

 

トール

あとフェリーターミナルから徒歩で来られるということも大きかったですね。

 

―旅人目線でも、公共交通機関から徒歩で行ける宿は助かります。

 

トール

僕らも送迎しなくていいし。

 

―でも船の見送りはする(笑)。

 

トール

あはは。

 

―宿は素泊まりですよね。

 

トール

そもそも家族でやれる範囲でやりたかったんですよね。だから食事の提供までは手がまわらなくて。近くに食べるところが数軒あるので、お客さんに外に出てもらったほうが島のためにもなるっていうこともありました。島の人たちとの交流も楽しんでもらえるといいかなと思ったし。

 

―確かにそうですね。「とほネットワーク旅人宿の会」には開業してすぐに入られてますよね。

 

トール

はじめて泊まったとほ宿は、僕も妻も偶然「あしたの城」(豊富町)だったんです。僕が泊まったのは、99年にはじめて冬の利尻山を見に来たとき。これから海が荒れるから早く島を出た方がいいって言われて出たものの、帰りの飛行機までは時間があって。稚内の喫茶店で紹介されたのが「あしたの城」。宿主の川上豊さんとスノーモービルで遊んだりしたんですけど、すごく…適当って言うと失礼だけど(笑)、ゆるいノリで、「世の中にこんなおもしろい宿があるんだ」って思って。

 

―濃いめのとほ宿デビューでしたね(笑)。

 

トール

あとは、「ばっかす」(稚内市)の伊東(幸)さんとか、「星観荘」(礼文島)の彦(新山彦司)さんは宿をやる前から顔見知りだったんですよね。会うたびに「早く宿やれよー」「利尻に宿があればいいのに」って。だから「物件が見つかって宿をやることになりました」って言ったら、伊東さんから「はい」って入会書を渡されて(笑)。

 

―はは。でも稚内、利尻、礼文に旅人宿があるのは助かります!

 

自分がおもしろい!と思ったことを

ガイド活動で伝えたい

 

―西島さんはガイド業もされていますよね。ネイチャーガイドのほか、「島ガイド」もやられていますが。

 

トール

最初は自然にひかれて利尻に来ましたけど、生活してみると島の歴史や文化もおもしろいなって気が付いたんです。

 

―利尻の歴史? 文化? …そういえば全然知らないですね。

 

トール

ちょっとおもしろいところだと、日本で最初の、英語を母国語にした外国人英語教師、ラナルド・マクドナルドが江戸時代の末期、ここに上陸したんです。記念碑も建っていますよ。その5年後に横須賀の浦賀にアメリカの艦船を率いてペリーがやってくるんですけど、彼の教え子が通訳を務めているんです。アメリカ側の記録ではすごく流暢な英語だったと記されています。マクドナルドが教える前に日本で話されていたのはオランダ語なまりの英語でしたから、もし彼が上陸していなかったら、ちょっと日本史が変わっていたかもしれません。

 

―すごい!

 

野塚展望台にあるラナルド・マクドナルドの碑。景色も最高だが、利尻の歴史の一部を知ることができる

 

トール

利尻山が遠くから見えるので海を移動してきた人の目標物になりやすいのか、実はいろんな人がたどりついているんです。

 

―こういうことは島のみなさんはご存知なんですか?

 

トール

知ってる人は知ってるけど、知らない人は知らないかな。僕は単純に興味があったんです。博物館の学芸員さんとも知り合いになったので、知らないことを教えてもらったり。

 

―路地裏散歩もやってますよね。

 

トール

一般に観光客が行かないような商店街とか港周辺の漁師さんの作業小屋周辺を歩いています。あと船が欠航したらどうなるか、とか。島ならではの暮らしをできるだけ伝えられたらと思います。雪国でないところから来る人は冬の暮らしが想像つかないと思うんですよね。だからここに雪がこんな感じで積もっていますとか、除雪ってこうやってるんですよとか、冬の写真も見せています。道に下がっている赤い矢印はなんでしょうかとか(笑)。

 

―あはは、道路が雪で覆われたときに道路の端がわかるようにしている矢印ですね。確かに雪国の冬を知らなければわからないですね。

 

トールさん、妻のカナコさん、そして開業時から宿を盛り上げてきた長男の「番頭さん」。この3人がいての「利尻うみねこゲストハウス」

 

トール

話していることは基本的に自分が「何だろう」とか、「おもしろい」と思ったことですね。圧倒的にネイチャーガイドのリクエストが多いんですけど、その中にも島の歴史や暮らしの要素を散りばめて、島の、自然とはまた違う面に興味を持ってくれたらうれしいなぁって。

 

―宿でも海抜0メートルの海水にタッチしてから利尻山を登って海抜0メートルの海水にタッチして戻ってくる「0 to 0利尻山」という海も山もある環境を生かした企画や、海岸でできるだけ丸い石を見つけてくる「まんまる石選手権」とかわくわくする企画をいくつも行ってますが、これは西島さんが考えているんですか?

 

トール

2人で考えています。

 

―そのアイデアの源は?

 

カナコ

自分がおもしろいと思うことをやっているだけですよ。

 

トール

アウトドアに興味のない人でも楽しめるものを、というのは考えています。まんまる石選手権だったら、石のあるところまで車で行くこともできますから。

 

ひとつ目的があるだけで、海岸の散歩もより楽しくなりそう

 

―確かにそうですね。開業から3年ですが、まだまだおもしろいことがはじまりそう…今後どんな宿にしていきたいと考えていますか?

 

トール

また帰ってきたいと思ってもらえる宿になればいいいなぁと思います。月並みですが…(笑)。

 

カナコ

2回行きたい場所って、結局そこに会いたい人がいるからなんじゃないかなと思います。

 

トール

そう思ってもらえる人になりたいですね!

 

2019.5.28
文・市村雅代

利尻うみねこゲストハウス

利尻うみねこゲストハウス

〒097-0101
利尻郡利尻富士町鴛泊字港町85
TEL 0163-85-7717

利尻うみねこゲストハウスホームページ

次回(6/11予定)は「ミルクロード」鈴木靖さんです。

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