「犬や猫と同じ感覚で、
馬や羊を飼いたくて就農」
ファームイン アニマの里
永田 朗さん | 大阪府出身。16歳のときに半ば友達に連れられるようにしてはじめて北海道へ。それ以降は夏休み、春休みごとに訪れオホーツクや日高地方の牧場で作業の手伝いをするようになる。そのときの仲間と夢見た動物との暮らしは1981年に実現。牧場と宿を開業した。動物を飼いたいとは思っていたが、実は便利なまち暮らしのほうが好き。宿は網走駅から4キロで交通の便は悪くないが「本当は駅前に住みたいくらい」。豪華客船に乗って世界一周の旅に出るのが夢。 |
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学生時代に農家や牧場で一緒に働いていた仲間と語り合った動物を飼って一緒に暮らすという夢。その夢を叶え、馬や羊との暮らしがスタート。しかし農業だけでは暮らしていけず、収入を増やすためにはじめた宿が農家の宿、「ファームイン」の先駆けとなった。博物館網走監獄は徒歩10分、オホーツク流氷館は車で5分と観光名所へのアクセスもいい。
仲間と夢見た動物との暮らし
2世帯ではじめた牧場運営
―とほ宿では唯一のファームインですね。元々動物や農業に興味があったんですか?
永田
いや、特になかったですね。僕らが若い頃は北海道に旅行に行く人が多くて。みんなが行ってるから僕も、っていうくらいな感じで16歳のときにはじめて北海道に来たんです。でもそれ以降は毎年夏休みと春休みに北海道へ来るようになりました。高専(高等専門学校)で、休みが長かったこともありますね。当時は旅の合間にユースホステルでヘルパーをする人もたくさんいましたが、それと同じ感覚で農家とか牧場で働く人もたくさんいたんです。まだまだ人手が必要な作業が多い時代でしたから。それで僕もオホーツクや日高地方の牧場で働くようになったんです。
ーそれが農業や動物に触れるきっかけになったんですね。
永田
農家で働いていると、早く寝ろよってことになる。でも若いでしょ、まわりの仲間も21、22歳でお酒飲みたいでしょ。それで夜、馬をこっそり出してきて商店に買い物に行ったりしてました(笑)。僕らが学生のときに働いていた農家では、馬でどこへでも行っていたんです。あはは。信じられないでしょ?
ー車の代わりだったということですか?
永田
当時車はふつうに走っていたし、トラクターも集落に1台はあるという時代でしたけど、馬は30年くらい生きますからね。苦労を共にした馬は、もう農作業には必要なくても最後まで飼うという家が多くて。そんなんで働きにいった学生もみんな馬を乗れるようになった。
ーはは。習うよりも慣れろですね、まさに。
永田
そんな暮らしをしているうちに、一緒に働いていた仲間とこういう生活おもしろいよねっていうことになって。犬や猫を飼うのと同じ感覚で、馬や羊を飼いたいなと。でもアパートでは飼えないからみんなで一緒に広い土地で暮らして動物を飼いたいねっていう話になっていったんです。

この牧歌的な雰囲気が、網走駅から約4キロで味わえる
―みなさん動物が好きだったんですね。
永田
動物というか、自然全般が好きなんでしょうね。仲間内で一番動物のことを知らなかったのは僕ですよ(笑)。
ーははは。
永田
僕、学校を卒業して就職したら、もう北海道には来られなくなるかもしれないと思って、実は1年間休学して北海道の牧場で働いたんです。ところが卒業して就職した農機具の会社で配属されたのが札幌近郊で(笑)。
ー(笑)。北海道に晴れて住めることになってよかったじゃないですか。
永田
それでいろいろ話しているうちに、当時の仲間とうちの2世帯がここで牧場をやることになったんです。
ーもう1軒は動物のぬいぐるみを作って販売しているやまね工房ですね。
永田
はい。最初、仲間はもっとたくさんいたんですがみんなそれぞれの事情があったので。
ー夢と現実のはざまで揺れる人もいたと思いますが、永田さんは夢を選んだんですね。
永田
当時70年安保の後で週休二日制でもなく、なんでもガツガツ行く時代。そういうのがいやだったんでしょうね。ゆっくりしたかったんじゃないかな。会社も仕事も気に入ってはいたので、正直辞めるのはどうしようかと思ったんです。でもやっぱりタイミングなんでしょうね。20代のあの若さだからできたことだったのかもしれません。
―この場所になったのはなぜなんですか?
永田
学生時代にこの辺の牧場で働いていたのでなじみがあったんです。…実は1979年から80年の1年は、いまの博物館網走監獄がある場所にいて、牧場をはじめようとしていたんです。
―そうだったんですか!
永田
でも博物館ができるからってことになって離農して空いていたここに引っ越してきたんです。
―動物の引っ越しは大変ではなかったですか?
永田
これから牧場としてやっていこうというところで…猫とか犬はいたけど、馬はいたかな? さっき言ったみたいな環境で働ていたのでやっぱり馬は飼いたかったんですよ。
ー交通手段として使いたいという思いもあったんですか?

2頭の道産子を放牧。乗ることはできないが、触ったり写真を撮ったりすることは可能
永田
ここで宿をはじめたとき、網走の駅までお客さんを馬で迎えに行こうかっていう話しもしていたんです。でも当時は道中に国鉄の踏切があってそこで馬が暴れたら困るってことでやめました。宿から4キロ弱の天都山までは行ったりしたかな。
―いま網走駅まで馬で迎えに来てくれたら、ちょっとしたイベントになりますね(笑)。
永田
ははは。昔は道産子を繁殖して売ったりもしたけど値段が暴落したりして苦労したんです。羊はいまも繁殖して売ってますけど、あんまりお金にはならないですね(笑)。
―ここは広さも相当ありますが。
永田
約3万坪の広さがあります。
―3万!
永田
実は農業には適さない場所だったんで、駅が遠くないことから宿をやるのにもいいかと思って。
ーそうだったんですか。
永田
正式に農家になるまでは苦労しましたけど、1994年に農村休暇法(農山漁村滞在型余暇活動のための基礎整備の促進に関する法律)ができて状況が一変しました。実は国務大臣がお忍びでファームインの視察に来たこともあるんです。
―まさに先駆けだったんですね!
時代と共に「旅」が変わる中
宿の運営も緩やかに変化
―その宿をこういった旅人宿にしたのはなぜなんですか?
永田
宿と言えばユースホステルみたいのしか知らなくて、そのスタイルでやるしかなかったんです。
―それでいてユースにはしなかったんですね?
永田
実はユースにしようと思って申請の一歩手前までいってたんですよ。昔はユースになるのはすごくハードルが高かったんです。でもそのハードルがだんだん下がってきて、申請ができそうになった。ただそうなると今度はまわりが、ユースでなくてもいいのではって言ってきて結局申請しなかったんです。とほ宿からユースになったところもありますけど、そういうところは「宿」ではなく、「ユース」をやりたかったんでしょうね。うちはそこまでこだわりがなくて、お客さんに来てもらうための手段として考えていたから。

冬は薪ストーブでぽかぽかの談話室。反対側の壁にはマンガがぎっしり
―お客さんの状況はどうだったんですか?
永田
1981年に宿を開業したら、いきなりお客さんが来だしたんです。カニ族(1970年代に多くいた横長のリュックサックを背負った旅人のこと。バックパッカー)ブームの終わりのころですね。お客さんのほとんどが大学生。だから7月1日になったらお客さんが来て、 8月30日になると人がいなくなって、クリスマスになるとお客さんが来て、1月3日ころになると誰もいなくなる。そして2月のテストが終わるとまた人が来て4月になると誰もいなくなる。
ーわかりやすいですね~。
永田
年配の人とか子どもさん、女性はここまで来るのが大変だったんじゃないかと思います。本州から夜行列車乗り継いでくるのも大変やし。
―若くて体力のある人だけが来ていたイメージですか。
永田
まぁそういうことでしょうね。そのあとバイクブームが来て、次は飛行機とレンタカーの時代になった。
―永田さんは2000年代にとほネットワーク旅人宿の会の代表をだいぶアツくやってらしたと聞きましたが。
永田
40代ですからね。アツく、一所懸命やってましたよ。ちょうどバイクブームが去った頃で、特に北海道のとほ宿をこれからどうしていこうかっていうときだったんです。次は飛行機のお客さんがメインになるのはわかっていたんですけど、航空券がとにかく高くて。回数券を買っても羽田~女満別が片道1回3万円くらいしていました。
ー確かに高い!
永田
そのうち、この辺のホテルが航空券と宿泊料をセットにして29800円とか39800円とかのパック旅行をはじめたんです。そうしたら飛行機代を合わせるとうちのような宿のほうがこの辺の観光ホテルより高くなっちゃった(笑)。常連さんもほかのホテルに泊まってうちには昼間遊びに来たり。「いや~本当は泊まりたかったんだけど、あっちは飛行機がついているからね」って。
―はは。そうなっちゃう気持ちもわからないではないですね。

宿のマークにも馬があしらわれている。宿名は当時好きだった雑誌の名前を参考につけられた
永田
それで、個人では無理だけど、とほネットワーク旅人宿の会としてみんなで交渉したら航空券と宿泊料をセットにして安くできるんじゃないかって。
―実現したんですか?
永田
往復のフェリー乗船料+とほ宿1泊とか東京~新千歳空港の往復航空券+とほ宿1泊のパック料金はつくりましたね。でも、そのあとすぐに航空会社がいまで言う早割のチケットを出してきたんです。それでだんだん交渉する必要がなくなってきて。
ーでも、実際に交渉が実ったなんてすごいですね。
永田
短期間のことですから。いまはネットで安い航空券と宿を自分で探してくる人がほとんど。旅の形も変わってきてますよ。
ー確かに「旅」とひと言で言っても、時代とともに手段や、旅人のスタイルは違いますよね。旅をする人自体が減っているとも聞きます。
永田
そうですね。国内で旅行をする人が減ってきて、この先どうなるのかなって思ったら、海外のお客さんが増えてきた(笑)。ただ、20代の息子たちに話を聞いてみると、若い人たちも旅行はしているようです。でもひとつの旅が短い。2泊3日くらいの旅を、別の仲間といくつもしているみたいです。
―宿をはじめたころの主なお客さんだったカニ族の人たちは日程や行先すらも決めずに旅をしていたと思いますが。
永田
当時はなんであういうスタイルだったのかな…。軽井沢にテニスしにいくとか苗場にスキーに行くとかはよっぽどのお金持ちで、普通の人は学生の間に1回か2回長い時間をかけて北海道をまわるというのが最高の冒険だったのかもしれませんね。
広い敷地で馬、羊と触れ合う
動物好きには最高の環境
ー客層の変化に合わせて、宿の内部もちょっとずつ変えてきていますよね。
永田
建物が古くなってきているので、洗面所、風呂、トイレの水まわりをリフォームして、客室も4人部屋を2人部屋に変えたりしています。いまは客室数でいうと、6室。定員は17名です。

客室から敷地内の緑を眺められる環境はそのままに、館内を少しずつリフォームしている
―3万坪に17人…贅沢ですね~。
永田
その敷地で、動物は道産子を2頭、ヒツジは約20頭飼っています。
―8~9月中旬はジャガイモ掘りの体験もありますよね。加えて夏はカヌー、冬はスノーシューのツアーもありますが、これは永田さんの趣味が反映されているんですか?
永田
僕はあんまり趣味がないんです。
―そうなんですか?
永田
凝って何かをするというのはないですね。ちょっとやってみたいんです(笑)。それが趣味なのかな。どちらかというと道具をたくさん持ちたいタイプ。
―はは。畑作業もして動物の世話もしてですから、ツアーの時間を捻出するのも大変ですよね。

羊にえさをやることも可能。「羊毛を使った小物作り」の体験コース(1000~1500円)もぜひ
永田
そうですね。近隣で乗馬体験やカヌー体験をはじめる業者さんは気を使ってあいさつに来てくれるんですけど、どうぞどうぞって。いまでは、そちらをお客さんに紹介したりもしています。昔はバイクにも乗っていたんですけど乗らなくなりましたね。冬は乗れないし夏は畑で忙しいからいつ乗るのって話でしょ。
―じゃあ時間ができたら、バイクは復活ですか?
永田
もうバイクに乗りたいとは思わないなぁ。…豪華客船で世界一周したいです。
―そうなんですか!
永田
飛鳥とか豪華客船に乗ってみたくてしょうがない(笑)。夢のまた夢ですけどね。
―わかりませんよ! また旅のスタイルが大きく変化して、ファームインが大当たりするかもしれないし。
永田
はは。でもなんだかんだ言って、少しお客さんの数を絞っている今の状態が、自分たちにとってもお客さんにとっても一番いいあんばいなのかなとも思っています。
2019.4.30
文・市村雅代